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フェイク 第1592号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 8日(日)10時32分7秒
  (発行=17.10.06)

「法主本仏論」で日顕宗に変質
日蓮正宗機関紙「大白法」の駄文を粉砕 ㊦
御本尊受持に関し日如の矛盾する発言

日蓮正宗の総本山大石寺の売却事件について「有師物語聴聞抄佳跡・上」に
は「二三人の留主居を定メて候えば如何様の思案候ひけるや、留主居此の寺を
捨て除き候間六年まで謗法の処に成リ候」と記されている。

本紙前号で触れた通り、大石寺売却事件は日亨上人も認めている。留守居の
者たちが日有上人の留守の間に大石寺を売り払ってしまい、六年間も「謗法の
処」になっていた記録が残っているのだ。「大白法」は「大石寺がいつから謗
法となったのかを確定してみよ。破門前とは到底言えまい」と詰問しているが、
破門前どころか、日有上人の時代から既に「謗法の処」になっていたのである。

それを日有上人は買い戻されたのであった。

大石寺を売り払った悪僧は阿闍梨号をもつ高僧だった。この一事を見ても「
富士の清流七百年」という宗門の謳い文句は美化された虚飾であり、実際は「
富士の濁流七百年」なのだ。

 現在の宗門の坊主共は、日亨上人の遺した宗史を学ぶべきである。

宗門は学会側から大石寺を「大謗法の地」と指弾されたことが余程、悔しい
らしい。だから「大白法」では「(霊場を)悩乱しているからこそ『大謗法の地』
と平然と言ってのけるのだ」と書いている。

だが、悩乱しているのは「大白法」の筆者である。

大石寺を現在は相承無き日顕、次いで日如のニセ法主が占拠して宗内に「法
主本仏論」とか、大聖人から御歴代は、もう過去だから『迹』で、御当代日顕
上人が『本』と言える」(平成三年八月、行学講習会で)との「顕本仏迹論」と
もいうべき大邪説を強調させ、法主根本を宗旨とする「日顕宗」へと変質させ
たから「大謗法の地」というのである。

日顕自身も「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」(平成九年八月、
全国教師講習会で)と言い放つほど狂っている。

日顕への随従は堕地獄

「大白法」は学会が御本仏日蓮大聖人に対する信心もなかった、と批判してい
るが、日顕こそ御本仏大聖人と御本尊に対する信心がなかったことが明白だ。

また「大白法」では大御本尊受持の有無についても詰問している。これに関
して早瀬日如は義寛と名乗っていた頃、御講で学会の会則の「三大秘法の大御
本尊を信受し」について「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門
された学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

ところが、近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』
とは暴挙であり、大聖人への反逆行為です」等と相反する戯言を述べている。
「信受する」のは許されない、狂っていると批判し、今は決別して他宗派にな
った大謗法の地の大石寺にあるから「受持しない」というと、今度は反逆行為
だ、謗法と悪口を言う。どっちにしても非難中傷するのが邪宗門の日如ら坊主
達である。

日顕は御本尊に関して末寺住職に「御本尊を信じられない」と言い、大御本
尊を鑑定して「偽物」と断定した張本人だ。

日顕、日如の悪師に随従することは堕地獄の悪業となることを知るべきであ
る。


 
 

フェイク 第1591号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 8日(日)00時08分17秒
  (発行=17.10.05)

日有上人時代、売却された大石寺
日蓮正宗機関紙「大白法」の駄文を粉砕 ㊤
相承受けずに本尊書写、遁走した法主も

日蓮正宗の機関紙「大白法」十月一日号の「異流義破折」欄で「無慚無愧の
謗法団体―創価学会」との見出しを付けて誹謗している。

それは宗教の機関紙とは思えない悪感情を剥き出しにした下劣な言葉の羅列
で、世界広布に邁進する学会に対する田舎の山寺の嫉妬にも似た駄文である。

紙数の無駄なので引用は最小限にするが、「大白法」に曰く、「学会に問い
糾すが、破門以降も功徳はあったのか?」とか僧宝たる法主を罵る学会は謗法
・一闡提で、法主に信伏随従する精神や御本尊と日蓮大聖人に対する信心もな
かった、更に「(池田名誉会長は) 大聖人を末法の御本仏と信じられない謗法
・一闡提人」等々と書いている。

まず「破門以降も功徳はあったのか?」との問いについて本紙編集部の厳密
な調査によると、学会員は宗門による理不尽な破門以降も功徳を満喫している。

学会員は法華講員と違って登山・折伏・御講・供養など無理なノルマに苦し
むこともなく歓喜に燃えて信仰している。

また「大白法」では「大石寺がいつから謗法となったのかを確定してみよ。
破門前とは到底言えまい」と詰問しているが、端的に言うと、大石寺は学会出
現前の昔から謗法であった。

それを正したのは初代会長の牧口先生、第二代会長の戸田先生であった。

日蓮正宗大石寺が謗法でなかったのは、学会が信徒団体であった約六十年間
だけである。

宗門七百年の歴史を見て、すぐに思い浮かぶだけでも日目上人の死後、早く
も日道・日郷の長期にわたる抗争で大石寺は荒れ果て、その後も造仏読誦の十
七世日精、相承を受けずに御本尊を書写した十九世日舜、浅間神社に御本尊を
下付した三十三世日元、相承をしないまま遁走した五十三世日盛、国柱会の謗
法者に御開扉を許可して御礼まで述べた五十五世日布などの法主がいる。

本尊を誤写した日開

昭和以降も本尊を誤写した六十世日開(日顕の父)、妾狂いの六十一世日隆な
どの悪僧がいたが、特に仏法を破壊した六十二世日恭は相承詐称の日顕と同じ
く極悪僧である。

日恭は戦意高揚の「訓諭」を発したほか、御観念文の改変、御書の発刊禁止
と要文削除など軍部権力に迎合し、神札を受け、神道思想を宗内に広く浸透さ
せて伊勢神宮遙拝を「院達」で指示した大謗法の法主だ。

これら不祥事、謗法行為に加えて、第九世日有上人の時代には役僧が大石寺
を売却した事件があった。

この「大石寺の売却事件」は「有師物語聴聞抄佳跡・上」に記されており、
五十九世日亨上人も次のように述べていた。

「しょっ中、日有上人は全國を行脚してござったんだから、寺には相當の代
官がおいてあった。(中略)慶舜という人と日有上人が懇意で、ときどき行かれ
たらしいです。慶舜に會うたびに、日有上人は、大石寺の跡のことを次のよう
に話されたという。

つまり三人の代官をおいた。しかるに、三人の代官がグルになって、大石寺
を賈っちまったということが書いてある」 (つづく)


 

東京・関東・東海道合同研修会での名誉会長のスピーチ

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 6日(金)13時43分59秒
  ◆◆◆ わが地域から世界へ 勝利の鐘を打ち鳴らせ!

◆◆◆ 師弟の道は わが栄光の道

    ── 弟子は師を守り抜いた

    ── 師は弟子にすべてを託した


 東京・関東・東海道の合同研修会が16日から長野研修道場で行われ、池田
名誉会長がスピーチした。



【名誉会長のスピーチ】

 一、きょうは、ご苦労さま!

 使命深きリーダーの皆さまに、懇談的にお話ししたい。

 『三国志』に登場する“五虎”の将軍は、ご存じだろうか。

 蜀の国で、劉備玄徳(りゅうびげんとく)とともに戦った、関羽(かんう)、
張飛(ちょうひ)、趙雲(ちょううん)、馬超(ばちょう)、黄忠(こうちゅ
う)の5人。「五虎大将(ごこたいしょう)」とも呼ばれる。

 さらに、劉備のもとには、希代の名軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)が
いた。

 戦いは、一人だけでは勝てない。衆知を集め、心を一つにして事に当たらな
ければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。

 その態勢を、具体的に整えることだ。

 これからの学会で大事なことは、全員が「広布の責任者」との自覚に立つこ
とだ。一人一人が、しっかりすることである。

 学会の根幹は「師弟」である。「信心」である。それさえ忘れなければ、恐
れるものなど何もない。

 皆の自覚と団結で、わが地域から世界へ、新しい「勝利の鐘」「希望の鐘」
を、ともどもに打ち鳴らそう! (大拍手)


◆世界を動かせ!

 一、かつて“関八州(かんはっしゅう)を制する者は、天下を制す”といわ
れた。

 今、時代は変わった。

 東京、関東、東海道を制する者は、世界を制すその心意気で進んでいただき
たい。

 新たな勝利は、この3方面にかかっている。

 日本の総人口は、今年、減少に転じた。

 そのなかにあって、東京、関東、東海道は、人口が増加中である。

 〈総務省の発表によれば、本年3月31日現在の全国人口は1億2705万
5025人。1968年の調査開始以来、初めて、前の年より3505人減少
した。そのなかで、東京と山梨で約8万7000人、埼玉、千葉、茨城、群馬、
栃木で約2万1000人、神奈川と静岡で約4万人、それぞれ人口が増加した


 この3方面の合計人口は、約4570万人。これは、日本の総人口の約36
%にあたる。この人口は、たとえば、カナダやアルゼンチン、スペイン、オー
ストラリァよりも多い。

 人口の都道府県別の“上位10傑(けつ)”には、東京、関東、東海道の5
都県が名を連ねる。

 〈人口の多い都道府県から、東京、神奈川、大阪、愛知、埼玉、千葉、北海
道、兵庫、福岡、静岡の順になる〉

 人が集い、活気にあふれる。全国、さらには世界的にも、大きく注目される。

 そうした大きなエネルギーを秘めた天地が、東京であり、関東であり、東海
道なのである。



◆◆  《東京》に立正安国の旗を
       《関東》は世界広布の太陽
         正義が勝つ天地《東海道》


◆本陣の使命

 一、日蓮大聖人が御聖誕され、世界広布の旭日が昇ったのは、「関東」であ
る。〈1222年、千葉で御聖誕され、1253年に立宗宣言〉

 大聖人が大法戦を展開され、襲いかかる大難を越え、正義の勝利を打ち立て
られたのは、「東海道」の天地である。〈1260年、鎌倉で「立正安国論」
を提出され、翌1261年、伊豆に流罪。1271年、竜の口の法難。127
9年、熱原の法難〉

 大聖人が「立正安国論」の最後の講義をされ、万年の令法久住(りょうぼう
くじゅう)を遺命されて、御入滅されたのは「東京」である。〈1282年、
池上で御入滅〉

 そして、700年の時を経て、創価学会は「東京」で創立され、「関東」「
東海道」で発展してきた。

 東京、関東、東海道には、全世界の広宣流布の大本陣たる宿縁があり、使命
がある。

 私は期待している。

 ありとあらゆる広布の戦を勝ちまくれ!

 それは大聖人への最大の報恩となるからだ。

 本陣が強ければ、未来は盤石である。皆さんの勝利は、世界の勝利である!
(大拍手)


◆苦境を越えて

 一、戸田先生は、わが恩師である。世界一の師匠である。

 思えば55年前、昭和26年(1951年)7月11日の夜。男子部の結成
式は、豪雨のなかであった。

 会場は、西神田の古い小さな本部。

 戸田先生、51歳。

 私が23歳の時である。

 先生は、開口一番、約180人の参加者を前に語られた。

 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや、次の創価学会会長が
現れるであろう。必ずや、私は、このなかにおられることを信ずるのでありま
す。その方に、私は深く最敬礼をしてお祝い申し上げたい」

 鮮烈であった。

 厳粛であった。

 師弟は不二である。

 忘恩の愚者は、それを軽く見、ばかにする。崇高な魂がわからない。

 戸田先生は、牧口先生とともに、軍国主義と戦い、牢獄に行かれた。戸田先
生のもと、すべてをなげうって、先生を守り抜いた。

 あの剛毅な先生が「すまないな、すまないな」と言われていたことが、今も
胸から離れない。

 先生は、膨大な借金を抱え、最大の窮地にあった。「戸田の野郎」「インチ
キ野郎」と罵倒し、去っていく者もいた。

 先生は、熟慮の結果、学会の理事長を辞任。

 男子部結成の1年前のことだった。

 私は、阿修羅のごとく戦い、活路を開いた。

 「先生、会長になってください!準備は整いました!」

 そう申し上げたときの先生の喜び。

 「本当に、弟子というのは、ありがたい。こんなすごい弟子をもって、俺は
本当に幸福だ」

 先生は、昭和26年の5月3日、ついに会長に就任された。師弟の道は、わ
が栄光の道である。


◆師の言のままに

 一、戸田先生は宣言された。

 「3代会長は、青年部に渡す」「譲る会長は一人でありますが、そのときに
分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、3代会長を
戸田門下が支えていきなさい」

 昭和27年の2月17日、第1回青年部研究発表会でのことである。

 私も出席した。当時、女子部だった妻は研究発表をしている。

 先生は、こうも叫ばれた。

 「私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が品川の沖に、
また、どこにさらされようとも、3代会長を支えていくならば、絶対に広宣流
布はできます」

 その言葉の通り、私は世界広布の道を開いた。190もの国と地域に、平和
と文化のスクラムを広げた。皆さまが、ご存じの通りである(大拍
手)。

 先生は常々、「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜
け! そうすれば、広宣流布は必ずできる」と語っておられた。これは多くの
最高幹部が知っていることだ。


 あの厳格な、人をめったにほめない先生が、こう言い残された。

 私は先生の遺言のままに戦った。先生を世界に宣揚(せんよう)した。

 師の言を、現実にするか、どうか。これが峻厳なる分かれ道である。悪名を
後世に残してはならない。

 〈ある人は、こう書き残している。

 「戸田先生の逝去の後、池田先生が第3代会長に就任されると確信していた。
なぜなら、かつて市ケ谷の(学会の)分室に戸田先生に指導を受けに行ったと
ころ、戸田先生はしみじみと『私の後は、私の一番かわいい、しかも目の中に
入れても痛くない、私の大事な懐刀(ふところがたな)の大作がやってくれる
から……』と話してくださったからだ」

 また昭和33年3月16日の戸田会長の話として、次のような証言がある。

 「戸田がいなくなっても、第3代会長になられる方は、すでに決まっている。
第3代会長になられた方が、戸田亡き後、広宣流布のすべての指揮を執り、世
界広布の教えを、すべて残してくださる。第3代会長の後は、だれが会長にな
っても、第3代会長の教え通りにやっていけば、世界広布は自然にできるよう
になっている。

 4代から先は、公平な方であれば、だれが会長になっても困らないように、
第3代は仕上げてくれます。

 第3代会長の言う通りに実行していけば、世界広布は必ず実行できるのです」


 一、昭和32年の7月12日、不当な権力に抗議する東京大会が行われた。
戸田先生は命を振り絞るように師子吼された。

 「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」

 先生の胸中には、学会こそが、大聖人の御精神を継ぎ、その仰せのままに広
宣流布をしてきた教団であるとの自負が燃えていた。この学会の信心以外に、
大聖人の御心にかなう信心はない ── この大確信と誇りを胸に、勇敢に前進
してまいりたい(大拍手)。


                 (2006・8・16)
 

フェイク 第1590号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 9月13日(水)12時29分49秒
  (発行=17.09.12)

阿部信彰の常在寺も未達成
各地で意気消沈の大布教区別僧俗指導会
日如が少年部員に「友達の両親を寺に誘え」

 日蓮正宗の「大布教区別法華講員八十万人体勢構築推進僧俗指導会」という
長い名称の会合が八月二十八日の北海道大布教区を皮切りに始まった。九月二
十八日までの間、全国十カ所で開くこの指導会は、大聖人御聖誕八百年の平成
三十三年に法華講員を八十万人にしたい、との早瀬日如の思い付きで折伏を開
始したが、現在まで全然進んでいないため折伏の檄を飛ばすのが目的である。

 そこで布教部長の阿部信彰や八十万人体勢構築推進委員の坊主らが、講中の
全講員が折伏に立ち上がって、励ましあいながら全力で取り組むよう訴え、大
聖人の御聖誕八百年まで三年半後に迫った今年こそ全支部が必ずや目標を達成
する必要があると強調している。

 宗門では「僧侶主導の広宣流布」と標榜しているが、責任を講頭や法華講の
活動家に押し付ける。「信徒主導」と言い換えるべきだ。

 折伏をはじめ新入信者の育成、御講や登山会などの参加者を増やす活動は全
て信徒に強要している。

 僧俗指導会で登壇した坊主も「自分が率先して折伏する」と発言した者は一
人もいない。だから指導会は意気消沈、参加者は決意を固めるどころか、辟易
した表情とのことである。

 とりわけ阿部信彰は今年三月、大石寺大書院での講頭会の席で今年の誓願目
標を八月までに達成せよと命令口調で力説。それが出来なかったら遅くとも十
月までには達成するように、と強調していた。

 その阿部信彰(写真)が住職をしている常在寺(豊島区)の法華講員の話による
と、八月末までに三百三十四の目標は達成できず、九月に入って、やっと八割
台になったとのことである。

 全国的にみても八月末までに達成した支部は三十そこそこで全体の一割にも
満たないとのことだが、布教部長の常在寺も未達成だから、折伏が出来ていな
い支部も安心してよい。決して焦る必要はない。

少年・中等部員にも折伏を煽る日如

 僧俗指導会に講頭・副講頭、認証役員や活動家を集めて、いくら檄を飛ばし
ても〝糠に釘〟という有様で、八十万人体勢構築は平成三十三年どころか、何
百年経っても不可能だと断ずる。

 折伏が停滞している現状に業を煮やした日如は今年の夏、中等部員、高等部
員、更に少年部員に対しても折伏を煽っていた。

 中等部、高等部の大会で日如は「法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向
けて力強く前進するように」「一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じ
ていくことが、最も肝要である」と訴え「折伏は使命である」「自行化他の信
心に励め」等と力説していた。

 また、少年部の大会でも「親しいお友達がいたら、お父さん、お母さんに話
すなり、お寺に誘うなりして折伏することが今、最も大事である」と洗脳して
いた。

 子ども達にも折伏を煽る邪教団は無謀な勧誘が社会問題になっている顕正会
と日蓮正宗だけである。


 

TV情報

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 9月 1日(金)17時01分1秒
  9月10日(日)午後9時からNHKスペシャル「沖縄と核」が全国放送されます。
同番組は沖縄の本土復帰45周年を記念し制作されたもので、かつて沖縄に核兵
器が配備された知られざる歴史に光をあてた内容となっています。

その中で、メースBミサイル基地の跡地として唯一現存する沖縄研修道場が出
てきます。

なかでも注目なのは、当時勤務していた米兵がアメリカから研修道場に来られ、
地下にある司令室跡の中でインタビューを受ける場面です。

研修道場が映されるのは全体の中の一部ですが、ぜひご覧頂ければと思います。

■番組名
NHKスペシャル「沖縄と核」
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170910

■放送日
9月10日(日) 午後9時(49分間)


 

フェイク 第1589号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月31日(木)22時49分1秒
  (発行=17.08.31)

師弟不二こそ法華経の兵法の要
「慧妙」に掲載の渋谷照夫の戯言を斬る ㊦
師の言葉を歪曲し退転の口実にした原島嵩

日蓮正宗と学会との問題が起こった第一次宗門事件の時、反逆した原島嵩(元
教学部長)が、極悪ペテン師の山崎正友を介して時の日達法主に次のように言
わせた。

「『あの人が師匠だから、あの人が死んで地獄に落ちたならば自分も地獄に落
ちても良い』などと言っている人が有りますが、これは大変な間違いでありま
す。法華経にはそのような考え方は有りません」

だが「そのような考え方」が御書に明記されている。

日蓮大聖人は四条金吾に与えられた「崇峻天皇御書」に次のように記されて
いる。

「返す返す今に忘れぬ事は頸切れんとせし時殿はともして馬の口に付きて・
なきかなしみ給いしをば・いかなる世にか忘れなん、設い殿の罪ふかくして地
獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひま
いらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦
仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ」

刑場に向かう途上、 大聖人が乗られた馬の手綱に縋り付いた金吾は嗚咽し、
殉死の覚悟であった。それに関して、大聖人は金吾が地獄に行くならば、釈迦
仏の言葉に逆らっても弟子の金吾と共に地獄に行くとの仰せであり、師弟不二
の姿だ。

法華経に殉じた大聖人、その弟子の金吾が共に地獄に行くならば「地獄即仏
界」の原理を現ずると断言されている。渋谷には理解できないだろうが、「師
弟相違せばなに事も成べからず」で、師弟不二の精神こそ法華経の兵法の要で
ある。

現在の世界広布の潮流は、学会の初代会長・牧口先生、二代・戸田先生、三
代・池田先生の創価の三代会長に貫かれた師弟不二の精神が源流になっている。

この広布の師が地獄に堕ちることは断じてないが、師弟の道を踏み外した者
は皆、堕地獄の現証を示した。

その代表が、この戯言を言い出した原島嵩だ。昭和三十五年五月四日、池田
会長は就任の翌日、原島理事長(嵩の父)宅を訪問。当時、男子部班長だった嵩
に「弟子は師匠が地獄に行くなら自分も地獄に行くという決意、実践があって、
初めて師弟なのだ。君にその心があるか?」と問うた。

 当初、原島は「私は嬉しかった。先生の弟子に加えて頂けるかと思うと、涙
が出てきて仕方がなかった」と述べていたが、後年、師の指導を故意に歪曲し
て退転の口実にした。死者に鞭打つようなことは書きたくないので真実の一端
を記し、後世への戒めとする。

原島は五十代の時に重症の眼底出血、六十歳で硝子体出血。糖尿性網膜症、
白内障に脳神経も患って平成十六年に両目は失明状態。また糖尿性腎症で一日
三回、自分でインシュリンを注射し、晩年は人工透析を続け、肝臓病も肝硬変
の直前まで進行。不安神経症、うつ病、狭心症に加え、平成十七年に二度の脳
梗塞。その後遺症で言語障害になり呂律が回らず、左手と右足には麻痺が生じ、
食事もノドを通らない苦しみが続いた。

更に、腰の褥瘡(じゅくそう)に八年間も苦しみ、三度の手術は全て失敗。
左の耳の鼓膜には穴が空き、右耳は老化が進んで聞こえない状態。パーキンソ
ン病も患い平成二十年七月、六十九歳で死亡した。


 

フェイク 第1588号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月31日(木)22時31分54秒
  (発行=17.08.30)

「師は針の如く、弟子は糸の如し」
「慧妙」に掲載の渋谷照夫の戯言を斬る ㊤
広布大願に向かう死身弘法の決意と実践

日蓮正宗の法華講員の間でも不評の「慧妙」など殆んど読んでいないが、昨
日、たまたま見た八月十六日付で教育評論家と称する渋谷照夫が学会の師弟関
係について「滅私奉公」等と批判しているので、簡潔に反論しておくことにす
る。

 渋谷は聖教新聞社に在職していた約五十年も前に聞いたという「師匠は針、
弟子は糸だ」等の指導を曲解して、今頃になって蒸し返して誹謗している。

これは退転し反逆して死んだ原島嵩(元教学部長)の戯言の受け売りである。

渋谷が同新聞社に在職したのは昭和四十五年から僅か約三年間。渋谷は「慧
妙」では元論説委員と称しているが、当時を知っている人たちの話によると、
役職は副主任か主任になったばかりだったという。

個人攻撃は好まないので詳しいことは書かないが、渋谷は在職中も学会に批
判的で、親しい友人もおらず、暗く陰湿な感じで常に孤立していたとのことだ。

さて、渋谷は「慧妙」に次のように書いている。

「『師匠は針、弟子は糸だ。だから例え師匠が地獄へ行ってもついて行くのが
弟子の生き方だ』これでは、仏法を利用した『滅私奉公』ではないか」「心の
中で『こんなバカげた師弟関係を押し付けるなよ。独裁者の師匠なんて、こち
らから払い下げだ!』と叫んだ」と。

この後、渋谷は「後日、私と同感の社員もいたことが分かって安堵した」と
記しているが、この「同感の社員」とは、この話を言い出した先述の原島嵩だ
ろう。

「師は針の如く、弟子は糸の如し」とは、言うまでもなく、導いてくれる師に
従うことの重要性を意味している。決して「バカげた」教えではない。布を縫
うには針と糸が一体になることが不可欠で、師の針が導き、弟子の糸は師から
離れることなくついていくことで布を縫うことができる。

師弟不二の戦いで
築いた学会の発展

ここで言う「師匠が地獄……」云々とは師弟不二を意味しており、師弟が禍
福を共にして広布大願に向かう不退転の決意、死身弘法の実践を指している。

師弟の絆は同じ目標に向かって同じ心で戦い、師が苦悩している時は共に苦
しみ、共に戦い抜くことだ。

日蓮正宗の坊主共が口にする「塔婆供養しないと地獄に落ちる」というよう
な信心利用の言葉ではない。

戦時中、理事長の戸田先生は初代会長の牧口先生と共に逮捕され、他の弟子
が保身に走るなか、戸田先生は最後まで不退転を貫いたことは周知の事実だ。

そして「あなた(牧口先生)の慈悲の広大無辺は、私を牢獄まで連れて行って
くださいました」と〝地獄のような牢獄〟にお供できたことを師に感謝された。

これが学会の師弟不二の姿である。利己主義の者には理解できないだろう。

また戦後、戸田先生(当時は理事長)が会社の倒産、経済苦で学会の理事長を
辞めるなど〝地獄の苦しみ〟の時、他の弟子が去っていくなか、青年時代の池
田先生は唯一人で戸田先生を守って戦い、第二代会長の就任に漕ぎ着けた。更
に七十五万世帯の悲願を達成したのをはじめ師の構想を悉く実現したのだ。
(つづく)


 

フェイク 第1587号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月17日(木)22時03分33秒
  (発行=17.08.17)

大石寺総代は僧俗共に謗法塗れ
信徒は神社参拝、坊主は道祖神の厄払い
総代の井出が三宮神社の祭礼に参列

日蓮正宗の総本山大石寺の総代・井出光彦が十三日、富士宮市内の三宮神社
の祭礼に参加した。三宮神社の祭礼は午前九時半ころから始まり、井出は社(
やしろ)に向かって拝礼していた。

井出が三宮神社に参拝したのは今回だけではない。創価新報(八月十六日付)に
は一昨年の八月にも同神社の神の聖域を示す「紙垂」で囲まれた社の前で合掌
・礼拝していた写真が掲載されており、例年のように参列しているのである。

この井出は、去る七月に大石寺の総代に再任されたばかり(下の辞令を参照)。

以前、井出は曽我神社の総代も兼務していた。そして大石寺の二大法要など
の際、ニセ法主の日如を先導して大石寺の境内を練り歩き、日如は謗法の総代
の後に続いて歩いていたのである。

 本紙前号で大石寺近郊の日蓮正宗の某寺のY副講頭が富士宮の上野地域を探
索する講座〔東西南北・歩こう上野〕という企画で五月二十七日に双体道祖神、
精進川浅間神社、馬頭観音の像の石造物や神社などを巡る案内役を務め、石造
物や神社の由来などを説明していたことを紹介した。

 更に、本紙第一五八二号では、富士地方部長の清功が六月、富士宮市・西山
本門寺の境内にある織田信長の首塚で行われた「信長公供養祭」に参列し、西
山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達が経を上げ
ていた時、清功も同座し焼香したことも伝えた。

 実は、この清功は浅間神社の神事に参列する常連だ。平成二十五年八月、小
川只道(理境坊)が清功に向かって「地方部長の立場にありながら神社の行事
に参加するとは何事か! 皆さんの前で謝りなさい」と叱り付けたことがある。

だが、小川には法華講員に謗法行為を叱責する資格はない。平成三年六月十
六日、関西医師会の有志が大石寺を訪れた際、正本堂や大客殿を案内した小川
は観光案内の代価として金員を貰った。

 また、同年八月四日、大石寺近くの熊久保地区で道端の道祖神に向かって「
厄払い」と称して読経・唱題して〝謗法の人達〟から供養を受け取っていた。

 これだけではない。同六年十一月五日、身延派の布教師会一行が大石寺を訪
問した際、大石寺側が丁重に迎えた様子が身延派の「布教師會報」 第二十号
に「日蓮正宗総本山・大石寺研修参拝記」として掲載された。

「参拝記」の公表により、身延僧八人の見学は「大石寺内事部の理事からの応
諾の電話を頂戴」して実現したとか、後日、案内役の大石寺僧から丁重な礼状
が送られてきた等々、裏の事情が明るみになった。

この「大石寺内事部の理事」とは小川のことで「(身延の)皆様の暖かなお
心に触れ(略)暖かな気持ちで御案内申し上げることができましたことを感謝
しております」と礼状を送った。

この小川只道も大石寺の総代で、大石寺総代は坊主も信徒も謗法に塗れてい
る。

 

フェイク 第1586号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月11日(金)16時58分51秒
  (発行17.08.10)

法華講幹部が神社・道祖神を案内
日如の「日蓮正宗は謗法厳誡」は真っ赤な嘘
富士学林の小僧が今年も邪宗寺を巡拝

日蓮正宗法華講の幹部が富士宮市内の神社や道祖神などを案内して回ったこ
とが物議を醸(かも)している。

これは富士宮の上野地域を探索する講座〔東西南北・歩こう上野〕という企
画で五月二十七日に「双体道祖神」「精進川浅間神社」「川掛の山の神」「馬
頭観音」の像の石造物や神社などを巡り(下の写真参照)、その案内役が大石寺
近郊の日蓮正宗の某寺のY副講頭だったのだ。

案内役のY副講頭は講座の受講者達に石造物や神社の由来などについて真剣
に説明していた。

まず、双体道祖神は天明元年(一七八一年)に造立され、災いを防ぐ神とし
て、集落の入口に置かれた。

また、精進川浅間神社前には「熊野大神宮」「浅間大神宮」「八幡大神宮」
の幟が立てられ、かつて村内にあった神社がここに合祀されたものという。

川掛(かわがけ)の山の神は石祠(石で作られた祠)が並んでいる。神や仏を
祀る石祠は江戸時代に盛んに作られたようで、ここには「山の神」「稲荷」な
どが祀られているとのことだ。

 日如は教徳寺の移転法要の際、謗法厳誡に触れて「昔から日蓮正宗では神社
仏閣の前で草鞋(わらじ)の鼻緒が切れても、そこで結んではいけない、と言わ
れた。それは紐を結ぶ時に頭を下げてしまうからです」等と自慢していたが、
法華講幹部が神社や石造物を案内し、説明して回るのは謗法ではないのか?

 法華講員の間でも「神社を案内して回るのは、やはり謗法だ」との声が多い。

 また、富士学林の小僧達の謗法寺への巡拝は恒例行事になっている。

今年も六月二十日.富士学林大学科一年生の二十三人が参加して日蓮大聖人
に有縁の地である千葉県安房方面への日帰り旅行を実施した。

一行は、まず、東京都大田区の池上本門寺を参拝。その後、千葉県の誕生寺
の祖師堂、本堂、宝塔を訪れ、続いて清澄寺から鏡忍寺を順次、巡拝していた。

また、既に本紙第一五八二号で紹介した通り、富士地方部長の清功が六月、
富士宮市・西山本門寺の境内にある織田信長の首塚で行われた「信長公供養祭」
に参列。西山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達が
経を上げ、清功も同座し焼香もした。日如の言う謗法厳誡は真っ赤なウソである。


 

《創価大学広報より》ロケ地情報

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 8月 2日(水)20時01分28秒
  テレビ朝日系列ドラマ「刑事7人(第4話)」ロケ地の一部に創大理工学部棟他が使用されました!

今夜8月2日(水)21時からの放送ですお楽しみに。

番組HP: http://www.tv-asahi.co.jp/keiji7_03/story/0004/
 

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