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フェイク 第1597号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年12月 2日(土)23時52分34秒
編集済
  (発行=17.12.02)

日蓮正宗の名称は要法寺の案を盗用
第百回忌を迎える五五世日布の謗法行為
日布が国柱会の幹部らと御開扉、挨拶も

日蓮正宗の機関紙「大白法」十二月一日付で大石寺第五十五世日布の「第百
回遠忌(平成二十九年三日・四日)を迎えるに当たって」という記事を掲載して
いる。日布の死は大正八年だから「大白法」の見出しの「平成二十九年」は間
違い。正しくは平成三十年である。

 同紙は日布の事績を紹介する中で独立への軌跡を書いている。明治五年に日
蓮各派は「日蓮宗」として統合され、同七年に「勝劣派」、同九年二月に大石
寺一派は京都要法寺や保田妙本寺などと共に「日蓮宗興門派」として括(くく)
られ、その後、日布(写真)が分離独立を内務省に願い出たが認可されなかった。

同三十二年に日蓮宗興門派は「本門宗」に改称。翌年九月には分離独立が認
められて「日蓮宗富士派」と公称し、同四十五年に富士派から今の「日蓮正宗」
に改称するに至ったことを述べている。従って、現在の日蓮正宗になってから
は僅か百五年に過ぎない。

しかも、日蓮正宗という名称は京都要法寺の僧が考えたものである。明治十
一年、日蓮宗興門派が改称を検討することになり、興門諸山から意見を集めた
際、要法寺が日蓮正宗という名称案を出してきた。

因みに他の案は本門正宗(蓮山)、本門宗(遠山、豆山、房山)、日蓮本門宗(西
山)で、大石寺だけは現状の日蓮宗興門派の案であった。そのため「大石寺の
如きは現状維持説を答え多数説を敢えて否むものに非ずと首鼠両端の態度に出
づ」と、ぐずぐずして、決めかねていたと記されている。

要法寺の案を盗用しておきながら今では坊主も法華講員も「唯一の正系門下
だから日蓮正宗と公称している」等と自慢する厚顔無恥な邪教団である。

「慧妙」が宗門の
見解と反対の我見

ところで、日布は国柱会幹部や未入信の宗教学者らと共に御開扉。終わった
後、日布は「各々ヨウコソの御登山、佛祖三寶も御滿悦のことゝ存ずる。……
各々が無始以来の罪障消滅現當二世の所願滿足と厚く御祈念申上げました。南
無妙法蓮華經」(「大日蓮」昭和十年三月号)と挨拶した。

かつて、この日布の謗法行為を学会側が指摘すると「慧妙」は次のような邪
見を書いていた。「謗法者の御堂への参詣自体を禁じてはおられない」「戒壇
の大御本尊が広宣流布の時至るまで秘蔵の形をとり公開されていないのは、い
まだに邪宗・謗法の者多く、それらの者の手から大御本尊を厳護申し上げるた
めであって、何も謗法者に拝ませてはならないから、という訳ではない」(「
慧妙」平成五年十一月一日付)

この「慧妙」の出鱈目な我見を当時の宗門の法義研鑚委員会(委員長は大村
壽顕)が一刀両断した。

同委員会は宗内教師各位への「通知」として「一閻浮提総与の御本尊といっ
ても邪宗邪義の輩に礼拝を許すわけがない。これは宗祖大聖人の御教示であり、
宗門七百年の鉄則である」と。

 一事が万事、低劣なウソを書くのが「慧妙」なのだ。


 
 

フェイク 第1596号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年11月23日(木)21時07分41秒
  (発行=17.11.22)

「邪宗寺院の猿真似の茶番劇」
日蓮正宗大石寺の陰湿なお会式を笑う
日精が要法寺から持ち込んだ今の様式

邪宗の日蓮正宗大石寺では二十・二十一日の両日、寒風の中、お会式を行っ
た。お会式の現在の様式は京都の要法寺から持ち込まれたもので、造像読誦論
の謗法坊主・日精が第十七世になった寛永九年(一六三二年)頃に出来た、と大
石寺も認めている。また毎年、この日に大石寺がお会式を行なうようになった
のは昭和三十九年からである。

因みに、日蓮大聖人の御入滅の地の池上本門寺では七百三十年前から続けて
きた伝統行事とのことだが、それに比べると、大石寺のお会式の歴史は極めて
浅い。

大石寺は「他宗では絶対に見ることができない本宗独特の儀式」「日蓮正宗
の歴史の長さを示す古式豊かな行事」と宣伝しているが、これは真っ赤なウソ。
要法寺や身延系寺院など邪宗の猿真似の茶番劇である。

 お会式の初日は御開扉に始まり、夕刻にはニセ法主の早瀬日如が差しかけら
れた真っ赤な大傘の下を〝本仏気取り〟で歩くお練りだ。仏道修行はおろか、
「書」の練習もしないで下手な字で御本尊を模写し、誤字があると指摘された
〝ブクロの寛チャン〟が、参列者の唱題の声が響くなか、得意満面で歩く姿は
滑稽である。

お練りの際、助番僧が片手に提灯を持って日如の所まで走って来て一礼して
いた。これは御本仏の御説法を願う姿を現しているというが、お粗末な三文芝
居だ。

お練りが始まる午後六時以降、気温は一気に四度にまで下がり「冷蔵庫の中
に入っているようだ」という初老の人がいた。この時は冷たい風も吹いていた
ため、体感温度はさらに寒く感じられ、居並ぶ法華講員の中にはクシャミをし
たり、激しく咳き込む人なども目立ち、冷気の中に立っていて風邪を引いたの
だろう。

茶番劇は、まだ続いた。

 入場して菩薩の座(上行座)に座った日如に会行事が恭しく礼。涌出品の右繞
三匝(うにょうさんそう)の法式、寿量品の三誡三請、重誡重請(じゅうかいじ
ゅうしょう)の格式をもって仏に高座へ登ることを願い奉る儀式だという。宗
門では「色花は使わない」と言いながら、会場にピンク色の桜の造花を飾って
いる。

こんな儀式が権威づけになると、日如は勘違いしているようだが、今の時代
に物笑いの種でしかない。

遊び人の暴力坊主が完全に〝本仏気取り〟なのだ。

 ここでは御本仏が寿量品文底久遠名字の南無妙法蓮華経を説く儀式だとして
説法は寿量品に限るのだが、日如は権威づけのため難解な仏法用語を多用し、
法主だけが仏法の本質を極めているかのように装うのだ。

これは大聖人の仏法を訓詁注釈の領域に封じ込めていることになる。そのた
め参加した講員も「意味不明で理解できない」と苦笑していたが、これでは世
界広布はできない。

二日目のお会式の中心的な行事は申し状の奉読で、時の権力者に出された諫
暁の書を坊主が次々に奉読していた。

だが、先の大戦中、時の軍部権力に迎合し諫暁もせず、神札を受け、御書を
削除し、御観念文を改変した宗門。それが少数の法華講の前で七百年前の申し
状を奉読しても意味がない。

まさしく、お会式は形骸化した時代錯誤の死せる仏教を象徴する猿芝居であ
る。


 

フェイク 第1595号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年11月11日(土)12時18分34秒
  (発行=17.11.09)

「連綿と続く血脈相伝」は幻想
日如の講習会での間違い講義を正す ㊦
相承詐称の日顕が「血脈の断絶」を明言

日蓮正宗・法華講が折伏に行き詰まって四苦八苦している。そのため、早瀬
日如が「思うに、今、私どもは、大聖人・日興上人以来、連綿と続く血脈相伝
に基づく正しい信心をしていることを心から喜ぶとともに、血脈を否定して完
全に異流義となった創価学会の謗法を破折し、多くの学会員を救っていかなけ
ればならないと痛感する次第であります」(「大日蓮」十一月号)と、学会員に
対する勧誘を煽っていた。

 この「連綿と続く血脈相伝」とは史実とは全く違う、真っ赤なウソである。

実際は、第三祖日目上人の死後、早くも日郷と日道との間で長年にわたる激
しい抗争が続き、以来、約七百年の間には宗門が自慢するような「一器から一
器へ一滴の水も漏らさず」というものではなかった。

或る時は器から水が漏れ、または枯渇し、さまざまな軋轢(あつれき)も生じ
て大石寺が無住の期間もあった。

在家の者が相伝を取り次いだり、稚児法主の誕生とか、相承もしないで遁走
した法主などもいた。

更に、約百年間にもわたって京都・要法寺から法主を迎えて、大石寺が要法
寺流の邪義に染まってしまった時代もあった。

そして遂に大石寺の「唯授一人の血脈相承」が決定的に途絶えたのが、第六
十六世日達法主が相承をしないまま心筋梗塞で急死した昭和五十四年七月二十
二日である。

この日、阿部信雄(日顕)が相承詐称を思いついて、受けてもいない相承を平
気な顔で「相承に関する甚深の話を承った」旨、自己申告した。

だが、その証拠は何もなく、一人の証人もいない。ここで断絶した血脈は、
当然、日如には流れていない。

 この相承詐称の日顕自身が法灯連綿を否定する「血脈断絶」が持論なのであ
る。

日顕が本行寺(東京都墨田区)の住職であった昭和三十三年、教区内の末寺の
御会式に向かう途中、同行の所化を誘って食堂に入り、これから御会式に参加
するというのにビールを飲みながら〝宗門の歴史の中には血脈が切れているこ
ともあるんだ〟等と発言したことがある。

その時の会話は次の通り。
日顕 お前は、血脈というものが切れたら、どうなると思う?
所化 いけないと思います。

日顕 君はそう思うか。そりゃ、しかし宗門の歴史の中には、そういうことが
あるんだよ。
所化 あるって言いますと……?

日顕 歴史の中には切れたような感じもあるんだよ。要は「内容」なんだ。血
脈が切れたって別段いいんだと俺はそう思うが、お前はどう思う?

この時、日顕の「血脈断絶論」を聞いたその所化は、余りの衝撃の大きさに
当時の状況を今も鮮明に記憶しているという。

 日如の言う「大聖人・日興上人以来、連綿と続く血脈相伝」とは幻想による
作り話で、血脈は途切れていたというのが真相なのだ。

学会が邪宗門と決別した直後、当時の教学部長・大村寿顕(日統、故人)ら時
局文書作成班が「時局文書」を乱発して「血脈法水が断絶したならば日蓮正宗
が滅びる」と強弁していたように必ず滅びるに違いない。


 

フェイク 第1594号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年11月10日(金)22時04分48秒
編集済
  (発行=17.11.08)

「法主にしか解らぬ血脈など戯言」
日如の講習会での間違い講義を正す ㊤
「法体の血脈も信心の血脈により流れる」

血脈が途絶えた日蓮正宗のニセ法主・早瀬日如が「創価学会は信心の血脈の
意義をゆがめ」「法体の血脈を否定している」等と夏期講習会で非難したうえ、
次のような戯言を述べていた。

「法主のもと、僧俗が固く団結し、異体同心に南無妙法蓮華経と唱え奉るとこ
ろに、個々の成仏がかなう」「創価学会が破門されるに至った大きな原因は、
この血脈に対する誤った考え方があった」「私どもは大聖人・日興上人以来、
連綿と続く血脈相伝に基づく正しい信心をしている」(「大日蓮」十一月号)等
と独りよがりの話をしていた。

この日如の戯言は、平成九年八月の行学講習会での日顕の「法体の血脈が根本
であるから、そこから離れての信心の血脈はない」等の妄言の受け売りである。

 教学力はなく、御書も満足に読めない日如は大願寺住職や法道院主管の頃も
御書講義は当時の教学部長・大村寿顕(故人)に頼っていた。〝盗座〟後は宮野
審道や永栄義親などに代作させた原稿を棒読みするだけである。

だから今回の血脈に関する説法も日如自身は日顕の話の受け売りという自覚
はないのかも知れない。

 ところが、日顕はこの平成九年の行学講習会での講義とは正反対のことを昭
和六十二年の虫払大法会の際、次のように明言していた。

「血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなすのであり、その信心の
血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ
流れ通うのであります」「要するに、日蓮日興唯授一人の相伝血脈は、その信
心において万人に通ずるのであり、かかる信心の血脈が正法の僧俗一切の行学
の根底であります。

故に、大聖人より日興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な
仏法などというのは血脈の真義を解せぬ者の囈言(たわごと)であり、信心の
一念に法水の流れるところ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功
徳が実証として開かれているのであります」

信心の血脈の意義を
歪めている日蓮正宗

この日顕の悩乱する前の虫払いでの説法は、極めて重要である。

日顕は信心の血脈が一切の根本であり、唯授一人の「法体法門の血脈」も信
心の血脈によって流れ通うと断言していたのだ。

更に「法体の血脈」は法主一人にしか解らない等というのは「血脈の真義を
解せぬ者の囈言(たわごと)」だと言い切っていた。

平成九年の行学講習会での講義と昭和六十二年の虫払いでの説法――この正
反対の発言は、どちらに権威があるか、それは所化小僧が対象の行学講習会で
はなく、宗門二大法要の虫払いでの説法である。

日蓮大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり、以信得入とは是な
り」と仰せである。宗門は、この大聖人の教えに背き、さも〝御本尊は唯授一
人の法主の二字におさまれり〟と言わんばかりに誤魔化して信徒を騙し、学会
を攻撃する。学会は血脈の意義を歪めていると的外れの批判をしているが、歪
めているのは宗門であり、日如自身だ。


 

フェイク 第1593号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月27日(金)20時44分9秒
  (発行=17.10.26)

宗門ぐるみで学歴詐称の前科
富士学林大学科の創立三十周年に思う
足腰が弱って外出できない日顕は欠席

 日蓮正宗は富士学林大学科(法教院、東京都渋谷区)の創立三十周年記念行
事を今月四日午後二時前から行った。これには日如、総監の八木日照、富士学
林長の藤本日潤(重役)、宗務院各部長、及び講師・在校生らが出席したが、近
くの豪邸にいる筈の日顕は姿を見せず、同学林大学科事務局長の漆畑正育が「
日顕の言葉」を代読した。

 日顕は法主時代から毎年、大石寺での全国教師講習会で独りよがりの講義を
続けてきたが、今年の夏はそれも出来なくなり、代わって日如が「一念三千法
門」(日応著)を題材に講義した。

 宗門関係者の話によると、夏頃までは毎週一度、病院に行っていたが、最近
は外出もできず、医者が往診に来ているとのことである。

また、足腰はめっきり弱くなって背中も丸くなり、腰痛ばかりか、耳も遠く
なっているとの噂もある。以前のように所化を殴ったり、蹴ったりする体力は
ないようだ。

 ところで、富士学林大学科とは、日顕が虚勢を張って作った無認可の私塾で、
大学科とは名ばかりの寺子屋で、卒業しても何の資格も得られない。

かつて宗門は、教団ぐるみで〝学歴詐称〟を企て、韓国の一流校である延世
大学やインドのデリー大学の大学院に高卒の所化を大学卒と偽って入学させよ
うとした事件があった。

その手口は「富士学林大学科」を「フジ・ガクリン・ユニバーシティー」と
偽り、正規の大学を卒業したかのような卒業証書を偽造して、ニセの卒業証明
書には履修した科目や成績までも書き入れ、そのうえ「教学士」という一見〝
学士号〟のような肩書まで書き添えて、ローマ字で学林長・八木信瑩(現在の
日照)がサインもするという狡猾な方法で騙そうとした。

宗門は、海外ならば偽の卒業証明書でも通用するだろうと思っていたようだ。

平成十一年に宗門は二人の所化に、この偽の卒業証明書を持たせ、インド国
立デリー大学大学院に入学させようとした。

だが、デリー大学当局の調査で、この不正入学工作が発覚して新聞でも報道
され、世間を騒がせる結果になった。

日顕が死ねば廃止に

日顕が所化を一般の大学には進学させず、富士学林大学科に行くようにした
のは、世間の大学で学問すると他門の大学教授の授業を受けることになり、弊
害があるとの考えからだという。

これに関して早稲田大学の大学院に進んで博士号を取得して、日蓮正宗の僧
籍を離れた花野充道は、日顕が「邪宗派の教授の教えを受けて博士になるのは、
日蓮大聖人の教えに背反する形になる」「博士号を取得するのは 異端者・背
信者である」と決めつけたと強く批判。また、ある著名な社会学者は「伝統的
な石山教学は板本尊と血脈を楯にとった権威主義的な『印籠教学』である」と
述べ、井の中で自己満足しているにすぎないと指摘していた。

確かに、富士学林大学科で日蓮正宗の宗学を学んで他宗派を邪教と誹謗する
だけでは世間には通用しない。

この富士学林大学科は、日顕が死ねば即座に廃止されるに違いない。


 

フェイク 第1592号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 8日(日)10時32分7秒
  (発行=17.10.06)

「法主本仏論」で日顕宗に変質
日蓮正宗機関紙「大白法」の駄文を粉砕 ㊦
御本尊受持に関し日如の矛盾する発言

日蓮正宗の総本山大石寺の売却事件について「有師物語聴聞抄佳跡・上」に
は「二三人の留主居を定メて候えば如何様の思案候ひけるや、留主居此の寺を
捨て除き候間六年まで謗法の処に成リ候」と記されている。

本紙前号で触れた通り、大石寺売却事件は日亨上人も認めている。留守居の
者たちが日有上人の留守の間に大石寺を売り払ってしまい、六年間も「謗法の
処」になっていた記録が残っているのだ。「大白法」は「大石寺がいつから謗
法となったのかを確定してみよ。破門前とは到底言えまい」と詰問しているが、
破門前どころか、日有上人の時代から既に「謗法の処」になっていたのである。

それを日有上人は買い戻されたのであった。

大石寺を売り払った悪僧は阿闍梨号をもつ高僧だった。この一事を見ても「
富士の清流七百年」という宗門の謳い文句は美化された虚飾であり、実際は「
富士の濁流七百年」なのだ。

 現在の宗門の坊主共は、日亨上人の遺した宗史を学ぶべきである。

宗門は学会側から大石寺を「大謗法の地」と指弾されたことが余程、悔しい
らしい。だから「大白法」では「(霊場を)悩乱しているからこそ『大謗法の地』
と平然と言ってのけるのだ」と書いている。

だが、悩乱しているのは「大白法」の筆者である。

大石寺を現在は相承無き日顕、次いで日如のニセ法主が占拠して宗内に「法
主本仏論」とか、大聖人から御歴代は、もう過去だから『迹』で、御当代日顕
上人が『本』と言える」(平成三年八月、行学講習会で)との「顕本仏迹論」と
もいうべき大邪説を強調させ、法主根本を宗旨とする「日顕宗」へと変質させ
たから「大謗法の地」というのである。

日顕自身も「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」(平成九年八月、
全国教師講習会で)と言い放つほど狂っている。

日顕への随従は堕地獄

「大白法」は学会が御本仏日蓮大聖人に対する信心もなかった、と批判してい
るが、日顕こそ御本仏大聖人と御本尊に対する信心がなかったことが明白だ。

また「大白法」では大御本尊受持の有無についても詰問している。これに関
して早瀬日如は義寛と名乗っていた頃、御講で学会の会則の「三大秘法の大御
本尊を信受し」について「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門
された学会には許されない。狂っている」と叫んでいた。

ところが、近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』
とは暴挙であり、大聖人への反逆行為です」等と相反する戯言を述べている。
「信受する」のは許されない、狂っていると批判し、今は決別して他宗派にな
った大謗法の地の大石寺にあるから「受持しない」というと、今度は反逆行為
だ、謗法と悪口を言う。どっちにしても非難中傷するのが邪宗門の日如ら坊主
達である。

日顕は御本尊に関して末寺住職に「御本尊を信じられない」と言い、大御本
尊を鑑定して「偽物」と断定した張本人だ。

日顕、日如の悪師に随従することは堕地獄の悪業となることを知るべきであ
る。


 

フェイク 第1591号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 8日(日)00時08分17秒
  (発行=17.10.05)

日有上人時代、売却された大石寺
日蓮正宗機関紙「大白法」の駄文を粉砕 ㊤
相承受けずに本尊書写、遁走した法主も

日蓮正宗の機関紙「大白法」十月一日号の「異流義破折」欄で「無慚無愧の
謗法団体―創価学会」との見出しを付けて誹謗している。

それは宗教の機関紙とは思えない悪感情を剥き出しにした下劣な言葉の羅列
で、世界広布に邁進する学会に対する田舎の山寺の嫉妬にも似た駄文である。

紙数の無駄なので引用は最小限にするが、「大白法」に曰く、「学会に問い
糾すが、破門以降も功徳はあったのか?」とか僧宝たる法主を罵る学会は謗法
・一闡提で、法主に信伏随従する精神や御本尊と日蓮大聖人に対する信心もな
かった、更に「(池田名誉会長は) 大聖人を末法の御本仏と信じられない謗法
・一闡提人」等々と書いている。

まず「破門以降も功徳はあったのか?」との問いについて本紙編集部の厳密
な調査によると、学会員は宗門による理不尽な破門以降も功徳を満喫している。

学会員は法華講員と違って登山・折伏・御講・供養など無理なノルマに苦し
むこともなく歓喜に燃えて信仰している。

また「大白法」では「大石寺がいつから謗法となったのかを確定してみよ。
破門前とは到底言えまい」と詰問しているが、端的に言うと、大石寺は学会出
現前の昔から謗法であった。

それを正したのは初代会長の牧口先生、第二代会長の戸田先生であった。

日蓮正宗大石寺が謗法でなかったのは、学会が信徒団体であった約六十年間
だけである。

宗門七百年の歴史を見て、すぐに思い浮かぶだけでも日目上人の死後、早く
も日道・日郷の長期にわたる抗争で大石寺は荒れ果て、その後も造仏読誦の十
七世日精、相承を受けずに御本尊を書写した十九世日舜、浅間神社に御本尊を
下付した三十三世日元、相承をしないまま遁走した五十三世日盛、国柱会の謗
法者に御開扉を許可して御礼まで述べた五十五世日布などの法主がいる。

本尊を誤写した日開

昭和以降も本尊を誤写した六十世日開(日顕の父)、妾狂いの六十一世日隆な
どの悪僧がいたが、特に仏法を破壊した六十二世日恭は相承詐称の日顕と同じ
く極悪僧である。

日恭は戦意高揚の「訓諭」を発したほか、御観念文の改変、御書の発刊禁止
と要文削除など軍部権力に迎合し、神札を受け、神道思想を宗内に広く浸透さ
せて伊勢神宮遙拝を「院達」で指示した大謗法の法主だ。

これら不祥事、謗法行為に加えて、第九世日有上人の時代には役僧が大石寺
を売却した事件があった。

この「大石寺の売却事件」は「有師物語聴聞抄佳跡・上」に記されており、
五十九世日亨上人も次のように述べていた。

「しょっ中、日有上人は全國を行脚してござったんだから、寺には相當の代
官がおいてあった。(中略)慶舜という人と日有上人が懇意で、ときどき行かれ
たらしいです。慶舜に會うたびに、日有上人は、大石寺の跡のことを次のよう
に話されたという。

つまり三人の代官をおいた。しかるに、三人の代官がグルになって、大石寺
を賈っちまったということが書いてある」 (つづく)


 

東京・関東・東海道合同研修会での名誉会長のスピーチ

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年10月 6日(金)13時43分59秒
  ◆◆◆ わが地域から世界へ 勝利の鐘を打ち鳴らせ!

◆◆◆ 師弟の道は わが栄光の道

    ── 弟子は師を守り抜いた

    ── 師は弟子にすべてを託した


 東京・関東・東海道の合同研修会が16日から長野研修道場で行われ、池田
名誉会長がスピーチした。



【名誉会長のスピーチ】

 一、きょうは、ご苦労さま!

 使命深きリーダーの皆さまに、懇談的にお話ししたい。

 『三国志』に登場する“五虎”の将軍は、ご存じだろうか。

 蜀の国で、劉備玄徳(りゅうびげんとく)とともに戦った、関羽(かんう)、
張飛(ちょうひ)、趙雲(ちょううん)、馬超(ばちょう)、黄忠(こうちゅ
う)の5人。「五虎大将(ごこたいしょう)」とも呼ばれる。

 さらに、劉備のもとには、希代の名軍師・諸葛孔明(しょかつこうめい)が
いた。

 戦いは、一人だけでは勝てない。衆知を集め、心を一つにして事に当たらな
ければ、インチキで邪悪な人間たちを打ち砕くことはできない。

 その態勢を、具体的に整えることだ。

 これからの学会で大事なことは、全員が「広布の責任者」との自覚に立つこ
とだ。一人一人が、しっかりすることである。

 学会の根幹は「師弟」である。「信心」である。それさえ忘れなければ、恐
れるものなど何もない。

 皆の自覚と団結で、わが地域から世界へ、新しい「勝利の鐘」「希望の鐘」
を、ともどもに打ち鳴らそう! (大拍手)


◆世界を動かせ!

 一、かつて“関八州(かんはっしゅう)を制する者は、天下を制す”といわ
れた。

 今、時代は変わった。

 東京、関東、東海道を制する者は、世界を制すその心意気で進んでいただき
たい。

 新たな勝利は、この3方面にかかっている。

 日本の総人口は、今年、減少に転じた。

 そのなかにあって、東京、関東、東海道は、人口が増加中である。

 〈総務省の発表によれば、本年3月31日現在の全国人口は1億2705万
5025人。1968年の調査開始以来、初めて、前の年より3505人減少
した。そのなかで、東京と山梨で約8万7000人、埼玉、千葉、茨城、群馬、
栃木で約2万1000人、神奈川と静岡で約4万人、それぞれ人口が増加した


 この3方面の合計人口は、約4570万人。これは、日本の総人口の約36
%にあたる。この人口は、たとえば、カナダやアルゼンチン、スペイン、オー
ストラリァよりも多い。

 人口の都道府県別の“上位10傑(けつ)”には、東京、関東、東海道の5
都県が名を連ねる。

 〈人口の多い都道府県から、東京、神奈川、大阪、愛知、埼玉、千葉、北海
道、兵庫、福岡、静岡の順になる〉

 人が集い、活気にあふれる。全国、さらには世界的にも、大きく注目される。

 そうした大きなエネルギーを秘めた天地が、東京であり、関東であり、東海
道なのである。



◆◆  《東京》に立正安国の旗を
       《関東》は世界広布の太陽
         正義が勝つ天地《東海道》


◆本陣の使命

 一、日蓮大聖人が御聖誕され、世界広布の旭日が昇ったのは、「関東」であ
る。〈1222年、千葉で御聖誕され、1253年に立宗宣言〉

 大聖人が大法戦を展開され、襲いかかる大難を越え、正義の勝利を打ち立て
られたのは、「東海道」の天地である。〈1260年、鎌倉で「立正安国論」
を提出され、翌1261年、伊豆に流罪。1271年、竜の口の法難。127
9年、熱原の法難〉

 大聖人が「立正安国論」の最後の講義をされ、万年の令法久住(りょうぼう
くじゅう)を遺命されて、御入滅されたのは「東京」である。〈1282年、
池上で御入滅〉

 そして、700年の時を経て、創価学会は「東京」で創立され、「関東」「
東海道」で発展してきた。

 東京、関東、東海道には、全世界の広宣流布の大本陣たる宿縁があり、使命
がある。

 私は期待している。

 ありとあらゆる広布の戦を勝ちまくれ!

 それは大聖人への最大の報恩となるからだ。

 本陣が強ければ、未来は盤石である。皆さんの勝利は、世界の勝利である!
(大拍手)


◆苦境を越えて

 一、戸田先生は、わが恩師である。世界一の師匠である。

 思えば55年前、昭和26年(1951年)7月11日の夜。男子部の結成
式は、豪雨のなかであった。

 会場は、西神田の古い小さな本部。

 戸田先生、51歳。

 私が23歳の時である。

 先生は、開口一番、約180人の参加者を前に語られた。

 「きょう、ここに集まられた諸君のなかから、必ずや、次の創価学会会長が
現れるであろう。必ずや、私は、このなかにおられることを信ずるのでありま
す。その方に、私は深く最敬礼をしてお祝い申し上げたい」

 鮮烈であった。

 厳粛であった。

 師弟は不二である。

 忘恩の愚者は、それを軽く見、ばかにする。崇高な魂がわからない。

 戸田先生は、牧口先生とともに、軍国主義と戦い、牢獄に行かれた。戸田先
生のもと、すべてをなげうって、先生を守り抜いた。

 あの剛毅な先生が「すまないな、すまないな」と言われていたことが、今も
胸から離れない。

 先生は、膨大な借金を抱え、最大の窮地にあった。「戸田の野郎」「インチ
キ野郎」と罵倒し、去っていく者もいた。

 先生は、熟慮の結果、学会の理事長を辞任。

 男子部結成の1年前のことだった。

 私は、阿修羅のごとく戦い、活路を開いた。

 「先生、会長になってください!準備は整いました!」

 そう申し上げたときの先生の喜び。

 「本当に、弟子というのは、ありがたい。こんなすごい弟子をもって、俺は
本当に幸福だ」

 先生は、昭和26年の5月3日、ついに会長に就任された。師弟の道は、わ
が栄光の道である。


◆師の言のままに

 一、戸田先生は宣言された。

 「3代会長は、青年部に渡す」「譲る会長は一人でありますが、そのときに
分裂があってはなりませんぞ。今の牧口門下が私を支えるように、3代会長を
戸田門下が支えていきなさい」

 昭和27年の2月17日、第1回青年部研究発表会でのことである。

 私も出席した。当時、女子部だった妻は研究発表をしている。

 先生は、こうも叫ばれた。

 「私は広宣流布のために、身を捨てます。その屍(しかばね)が品川の沖に、
また、どこにさらされようとも、3代会長を支えていくならば、絶対に広宣流
布はできます」

 その言葉の通り、私は世界広布の道を開いた。190もの国と地域に、平和
と文化のスクラムを広げた。皆さまが、ご存じの通りである(大拍
手)。

 先生は常々、「偉大な第3代会長を全魂込めて守れ! 3代を中心に生き抜
け! そうすれば、広宣流布は必ずできる」と語っておられた。これは多くの
最高幹部が知っていることだ。


 あの厳格な、人をめったにほめない先生が、こう言い残された。

 私は先生の遺言のままに戦った。先生を世界に宣揚(せんよう)した。

 師の言を、現実にするか、どうか。これが峻厳なる分かれ道である。悪名を
後世に残してはならない。

 〈ある人は、こう書き残している。

 「戸田先生の逝去の後、池田先生が第3代会長に就任されると確信していた。
なぜなら、かつて市ケ谷の(学会の)分室に戸田先生に指導を受けに行ったと
ころ、戸田先生はしみじみと『私の後は、私の一番かわいい、しかも目の中に
入れても痛くない、私の大事な懐刀(ふところがたな)の大作がやってくれる
から……』と話してくださったからだ」

 また昭和33年3月16日の戸田会長の話として、次のような証言がある。

 「戸田がいなくなっても、第3代会長になられる方は、すでに決まっている。
第3代会長になられた方が、戸田亡き後、広宣流布のすべての指揮を執り、世
界広布の教えを、すべて残してくださる。第3代会長の後は、だれが会長にな
っても、第3代会長の教え通りにやっていけば、世界広布は自然にできるよう
になっている。

 4代から先は、公平な方であれば、だれが会長になっても困らないように、
第3代は仕上げてくれます。

 第3代会長の言う通りに実行していけば、世界広布は必ず実行できるのです」


 一、昭和32年の7月12日、不当な権力に抗議する東京大会が行われた。
戸田先生は命を振り絞るように師子吼された。

 「会長になった時から、この体は捨てるつもりでいるんだから何も怖くない」

 先生の胸中には、学会こそが、大聖人の御精神を継ぎ、その仰せのままに広
宣流布をしてきた教団であるとの自負が燃えていた。この学会の信心以外に、
大聖人の御心にかなう信心はない ── この大確信と誇りを胸に、勇敢に前進
してまいりたい(大拍手)。


                 (2006・8・16)
 

フェイク 第1590号

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 9月13日(水)12時29分49秒
  (発行=17.09.12)

阿部信彰の常在寺も未達成
各地で意気消沈の大布教区別僧俗指導会
日如が少年部員に「友達の両親を寺に誘え」

 日蓮正宗の「大布教区別法華講員八十万人体勢構築推進僧俗指導会」という
長い名称の会合が八月二十八日の北海道大布教区を皮切りに始まった。九月二
十八日までの間、全国十カ所で開くこの指導会は、大聖人御聖誕八百年の平成
三十三年に法華講員を八十万人にしたい、との早瀬日如の思い付きで折伏を開
始したが、現在まで全然進んでいないため折伏の檄を飛ばすのが目的である。

 そこで布教部長の阿部信彰や八十万人体勢構築推進委員の坊主らが、講中の
全講員が折伏に立ち上がって、励ましあいながら全力で取り組むよう訴え、大
聖人の御聖誕八百年まで三年半後に迫った今年こそ全支部が必ずや目標を達成
する必要があると強調している。

 宗門では「僧侶主導の広宣流布」と標榜しているが、責任を講頭や法華講の
活動家に押し付ける。「信徒主導」と言い換えるべきだ。

 折伏をはじめ新入信者の育成、御講や登山会などの参加者を増やす活動は全
て信徒に強要している。

 僧俗指導会で登壇した坊主も「自分が率先して折伏する」と発言した者は一
人もいない。だから指導会は意気消沈、参加者は決意を固めるどころか、辟易
した表情とのことである。

 とりわけ阿部信彰は今年三月、大石寺大書院での講頭会の席で今年の誓願目
標を八月までに達成せよと命令口調で力説。それが出来なかったら遅くとも十
月までには達成するように、と強調していた。

 その阿部信彰(写真)が住職をしている常在寺(豊島区)の法華講員の話による
と、八月末までに三百三十四の目標は達成できず、九月に入って、やっと八割
台になったとのことである。

 全国的にみても八月末までに達成した支部は三十そこそこで全体の一割にも
満たないとのことだが、布教部長の常在寺も未達成だから、折伏が出来ていな
い支部も安心してよい。決して焦る必要はない。

少年・中等部員にも折伏を煽る日如

 僧俗指導会に講頭・副講頭、認証役員や活動家を集めて、いくら檄を飛ばし
ても〝糠に釘〟という有様で、八十万人体勢構築は平成三十三年どころか、何
百年経っても不可能だと断ずる。

 折伏が停滞している現状に業を煮やした日如は今年の夏、中等部員、高等部
員、更に少年部員に対しても折伏を煽っていた。

 中等部、高等部の大会で日如は「法華講員八十万人体勢構築の誓願達成へ向
けて力強く前進するように」「一人でも多くの人に妙法を下種し、折伏を行じ
ていくことが、最も肝要である」と訴え「折伏は使命である」「自行化他の信
心に励め」等と力説していた。

 また、少年部の大会でも「親しいお友達がいたら、お父さん、お母さんに話
すなり、お寺に誘うなりして折伏することが今、最も大事である」と洗脳して
いた。

 子ども達にも折伏を煽る邪教団は無謀な勧誘が社会問題になっている顕正会
と日蓮正宗だけである。


 

TV情報

 投稿者:宿坊  投稿日:2017年 9月 1日(金)17時01分1秒
  9月10日(日)午後9時からNHKスペシャル「沖縄と核」が全国放送されます。
同番組は沖縄の本土復帰45周年を記念し制作されたもので、かつて沖縄に核兵
器が配備された知られざる歴史に光をあてた内容となっています。

その中で、メースBミサイル基地の跡地として唯一現存する沖縄研修道場が出
てきます。

なかでも注目なのは、当時勤務していた米兵がアメリカから研修道場に来られ、
地下にある司令室跡の中でインタビューを受ける場面です。

研修道場が映されるのは全体の中の一部ですが、ぜひご覧頂ければと思います。

■番組名
NHKスペシャル「沖縄と核」
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170910

■放送日
9月10日(日) 午後9時(49分間)


 

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