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フェイク 第1611号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 5月23日(水)09時49分56秒
  (発行=18.05.22)

「慈悲の欠片もない法華講の折伏」
大型連休の最中に本山に招集して指導会
成果に焦る日如、阿部信彰らの悪足掻き

 法華講員八十万人体勢構築という無謀な誓願の達成が絶望的な日蓮正宗が今
月四日、大石寺で「折伏推進僧俗指導会」を開いた。ここでは成果に焦る日如
や布教部長の阿部信彰、同副部長の新井契道をはじめ早瀬義栄ら折伏推進委員
の坊主が出席して「毎日が実践だ」「誓願を必ず達成せよ」等と締め上げてい
た。

 折伏成果は全体的に低迷しているが、宗門関係者によると、四月末時点で達
成率が十%そこそこの末寺が約八十ケ寺もあったので、これらの末寺の坊主と
法華講幹部がゴールデンウィークの真っ只中、本山に召集されたということで
ある。

 また、阿部信彰のいる常在寺(豊島区)の法華講員は、四月末の段階で同寺の
目標三百六十七に対して、やっと二十%になったので、それ以下の末寺の法華
講支部が指導会の対象になったのだろうと語っていた。

 本来なら、大型連休の時は活動する絶好の機会である。その時に、わざわざ
本山に集めるのは活動の足を止めることになるのだが、そんな当たり前のこと
も日如や阿部信彰らは分からない無能坊主だ。集めて檄を飛ばせば折伏成果が
伸びると勘違いしているのだろう。

 日蓮正宗は口では「僧侶主導の広宣流布」と言いながら坊主は発破をかける
だけで実践はせず、法華講員に折伏してもらう仕組みになっている。

 本山での布教講演にしても、末寺での御講にしても、世間知らずの坊主が講
員に向かって説法するだけで、これでは布教は進まない。坊主が率先垂範して
折伏するのが本来の在り方だが、今の日蓮正宗の坊主共には、そんな力はない。
日如自身、折伏の経験が全くないのだ。

 一方、講員はノルマに追われて勧誘しているため、その言動には相手を思い
やる慈悲の欠片もない。

 先日、法華講の活動家の訪問を受けたという壮年は「突然、訪ねて来て、荒
々しい言葉遣いで一方的に私の信仰の悪口を言う。腹が立ったので追い返した」
と語っていた。

今年も地方部総会の参加者は減少!

 このように坊主が講員に暴言を教唆するような指導会を開いても逆効果で、
活動家も減っている。事実、今年の法華講地方部総会の参加者も減少している。
毎年一回、開く総会の参加者数は法華講の勢力を示すうえで格好の行事である。

 そのため各地方部は結集に力を注ぎ、連合会幹部らが手分けして担当してい
る。

だが、連合会の関係者によると、参加者数が昨年に比べて微増の地方部もあ
るが、ほとんどが横ばい状態で、減少している地方部も目立つという。

 昨年よりも参加者数が減っているのは、現時点で分かっているだけでも秋田
・岩手・宮城・福島・栃木・神奈川・東京第二・静岡東・愛知東・京都・兵庫
・南近畿・北中国・広島・福岡東・福岡西の各地方部である。

 なかでも愛知東地方部は、参加者が以前は千人を超えていたとのことだが、
今年は四百人少々にまで落ち込み、最悪の事態だ。

 なお、法華講の夏期講習会の第一期が十九・二十日に始まったが、今年も日
如ら坊主の説法は不評だ。その様子は改めて紹介する。


 
 

フェイク 第1610号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 5月16日(水)18時51分32秒
  (発行=2018.05.15)

相次ぐ坊主の強制隠居、解任
無能な日如が折伏の低迷で大ナタ振るう
折伏ノルマに苦しんだ住職の自殺も

邪宗・日蓮正宗では住職の解任、強制隠居が、ここ数年の間、相次いでいる。
その理由は折伏成果の低迷ということである。本紙編集室が把握しているだけ
でも平成二十七年は十二人、同二十八年には十人の住職が隠居に追い込まれた。

特に、昨二十九年には住職に加えて正副支院長の計十四人の大量更迭を四月
二日付で断行。宗内に激震が走ったが、住職の解任、強制隠居も強行された。

二月には広島県竹原市の得行寺の住職・蜂谷道慈が解任された。「宗務院録
事」の辞令では「願に依り得行寺住職を免ずる」と誤魔化しているが、解任の
理由は折伏の不正報告だった。

蜂谷の不正報告が露見したのは法華講員が宗務院に投書したからで、本山に
呼ばれて厳しく追及されたという。蜂谷は五十代半ばの大僧都で隠居する年齢
ではない。後任には講師の小山成琳が赴任した。

特筆すべきは埼玉県朝霞市の日成寺住職・安孫子信洋の自殺である。三月二
十四日朝、寺の敷地内で首を吊って死んでいるのが発見された。四十六歳だっ
た。
その「遺書」には過酷な折伏ノルマに対する苦悩が記されていたという。

末寺住職が死んだ場合、法主が葬儀の導師を務めるのが普通だが、日如は安
孫子の葬儀の導師を拒絶したばかりか、その死を宗内に知らせる「宗務広報」
も出さず、「大白法」「大日蓮」にも一切、掲載しなかった。

法華講員の中には「機関紙誌に掲載されていないから住職の首つり自殺なん
てウソだ」と言う者がいる。

だが、都合の悪いことは素知らぬ顔で隠すのが日蓮正宗の常套手段である。

四月には大阪市の聖教寺住職・長坂慈精、徳島県鳴門市の妙眼寺住職・吉松
雄英が「折伏ができない」という理由で隠居に追い込まれた。

続く六月には鹿児島県鹿屋市の正遍寺住職で、南九州布教区の宗務副支院長
・東猛道が隠居させられた。

数千万円を不正に使い込んだ坊主も解任

また、十二月には会津若松市の実成寺住職で、福島布教区の副支院長になっ
たばかりの影山広道が住職と副支院長を解任された。影山の処分理由は他の坊
主と違って折伏の低迷ではなく「寺の基本金を不正に使い込んだため」という
もので、その金額は驚くことに数千万円にも及んでいたという。

今年になって一月早々、静岡県富士宮市の下之坊住職・岡田広裕が隠居した。

 四月には北海道第二布教区支院長で旭川市の大法寺住職・杉広哲、愛媛布教
区の前副支院長で新居浜市の法楽寺住職・岩切仁道を本山に呼び出し、二人に
「強制隠居」を言い渡した。

大法寺は三年連続で目標の未達成、法楽寺も五年連続で未達成である。

早瀬日如は末寺に対して「毎年、信徒数の一割増」という無謀な折伏ノルマ
を押し付けているが、信仰心も広布の使命感も欠落している法華講に出来る筈
がなかろう。

日如自身、実践の体験がないから折伏が難事中の難事だと分からないのだ。

住職を処分しても折伏は進まないが、今後は一段と住職や支院長らの懲罰人
事が増えることだろう。

 

フェイク 第1609号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 4月10日(火)11時58分21秒
  (発行=18.04.09)

今年も雨の中、大石寺で虫払い
叩きつける雨、「雷・強風・なだれ注意報」も
今のような法要は明治から、参加は少数

日顕が教学部長の頃、雪山坊の会議室で虫払い法要について「陽光うららか
な日に重宝に風入れをする」「お会式の時は『お練り』と言うが、お虫払いの
時は単なる『行列』と言う」と説明していた。ところが、今月六・七日の両日、
大石寺での虫払い法要は「陽光うららか」ではなく、大雨のため湿度九十六%
の日に〝風入れ〟をして、また宗門が中世の絵巻と自慢する「行列」も出来な
かった。

「こんな雨の日に重宝類に風入れしても逆効果だろう」と言う参加者もいた。

初日の六日午前、法華講員や坊主が相次ぎ着山。午後一時半に御開扉が始ま
ると雨が降り始め、御開扉を終えた登山者が宿坊に向かう頃には大雨になり、
強風も吹き始めた(写真参照)

 このところ、大石寺の虫払い法要と言えば決まって悪天候だ。平成二十五年
は急激に発達した爆弾低気圧による〝春の嵐〟が吹き荒れ、特に、富士宮一帯
に大雨・洪水・雷・強風注意報が出た。

  同二十六年は初日の六日、大石寺の周辺には物凄い稲妻が走り、雷鳴が轟く
中、大粒の雹(ヒョウ)が叩きつけるように降り、雹に直撃された登山者もい
た。

 同二十七年は二日目に冷たい雨の中、御真翰を御宝蔵から客殿に運び込んだ。

また、同二十八年も激しい雨が降り、昨二十九年も初日の午後一時半からの
御開扉が近づくと時折、雨が降り始め、夜の日如の御書講義が始まる頃には本
降りになり、二日目は「大雨注意報」が出て、早朝から昼過ぎまで断続的に雨
が降り続いた。

こうした現象からも大石寺の行事には諸天の加護が全くないことが分かる。

登山者は年々、減少

 さて、今年の虫払い法要の初日は、夕方五時頃から本格的に雨が降り始めて、
六時過ぎには雨脚・風ともに強まり、やがて叩きつけるような風雨で、富士宮
市全域に「雷・強風・なだれ注意報」が出たのだ。

二日目の七日、本山周辺の木々が大きく揺れるような強い風が吹くなか、登
山者は客殿での法要に向かっていた。皮肉なことに「ご真翰巻き返し」などの
行事が終わる頃、ようやく日の光が差し込んでいた。

 この虫払い法要に関する古い文献としては元亀四年(一五七三年)の第十四世
日主の頃の「霊宝虫払日記」があるだけで詳細は不明。天明元年(一七八一年)
の記録には「虫払は三歳に壱度也」とあり、三年に一度、行われていたようだ。

これが正式行事になったのは徳川時代末期の天保年間で四十八世日量の頃か
らで、現在のように四月六・七日に行うようになったのは明治以降からである。
この頃、参加者は少数だった。明治二十六年には東京から七人、埼玉から三人、
横浜から十数人、尾張から一人の参加だったが、それでも「最も盛大なる法會
にてありき」と記していた。

登山者は近年、減っているが、この虫払い法要の参加者も減少している。


 

法華経 番組のお知らせ

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 4月 6日(金)23時31分50秒
  植木雅俊さん(学会員)が講師を努める

「100分de名著」という番組が放送されます。


100分de名著 法華経[新]
番組HP: http://www.nhk.or.jp/meicho/

【講師】仏教思想研究家…植木雅俊さん


関西は、

■放送日
NHK Eテレ 021 毎週水曜日 午後12:00~午後12:25

第1回   (既に終わりました)
第2回  真の自己に目覚めよ (4月11日放送、以降毎週水曜日)
第3回  「永遠のブッダ」が示すもの
第4回  「人間の尊厳」への讃歌


■再放送
NHK Eテレ 021 毎週日曜日 午後2:30~午後2:55

第1回  全てのいのちは平等である(4月8日放送、以降毎週日曜日)
第2回  真の自己に目覚めよ
第3回  「永遠のブッダ」が示すもの
第4回  「人間の尊厳」への讃歌


植木雅俊さんについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%8D%E6%9C%A8%E9%9B%85%E4%BF%8A


 

酒井響希くんのニュース

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 4月 4日(水)18時04分41秒
  世界青年部総会で、演奏披露をしてくれた小学五年生、盲目のドラマー酒井響希くん。

4月2日(月) 朝8時からのTV番組「スッキリ」に生出演されました。

プロの方とのセッションです。

響希くん頑張りました。   ご覧ください。


https://www.youtube.com/watch?feature=youtu.be&v=lpmqZgg3S7o&app=desktop





 

フェイク 第1608号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 3月28日(水)11時48分57秒
  (発行=18.03.27)

功徳はなし、減り続ける登山者
今年も失敗に終わった大石寺の春季総登山
狙いは御開扉料六千万円の収奪

日蓮正宗法華講の春季総登山が三月二十四・二十五日の両日、大石寺で行な
われた。初日の行事は法華講連合会の役員らが早瀬日如に目通り、御開扉、全
国の講頭会があり、夜には客殿での日如の講義と続いた。

このうち講頭会の出席者によると、折伏の誓願達成と育成、年末の特別供養、
末寺の御講への参加などについて話があったという。

この日は晴れたり、曇ったりの天候だったが、午後、講頭会が始まる頃、俄
かに小雨が降り始めた。無理な課題を押し付けられて苦しむ講頭たちの辛い気
持ちの表れだったのかも知れない。

二日目の二十五日は早朝から登山者が乗用車やバスで着山。宗門はこの日だ
けで約二万人と発表していたが、法華講関係者は「五千人ほど少ない」と否定
した。初日の登山者と合わせても宗門が御講などで強調し、また「大白法」で
何度も特集を組んで呼び掛けた「三万人の春季総登山」は今年も達成できなか
ったばかりか、例年より減っているということのようだ。

この春季総登山の失敗は前々から懸念されていた。二月末に法華講が集計し
た登山者の確認数は目標の六割に過ぎなかった。しかも、その約半数は参加費
を納めていなかった。

慌てた宗務院は登山人数の確保のため、本山周辺や首都圏の寺に対して割り
当て人数を増やしたが、これも当てが外れた。割り当て人数を増やされた末寺
の坊主は「近いからといって、たくさん登山できるという訳ではない」「全く
迷惑な話だ」との嘆きの声も伝わってきていた。

また、坊主に責められた法華講の活動家は学会員を登山させようと狂奔。信
仰歴の長い学会員宅を訪ねては「大石寺を懐かしいと思いませんか?」「久し
ぶりに登山しませんか?」と猫なで声で話しかけて「謗法の寺なんか懐かしい
とは思わない」「行っても功徳ない」と追い返された事例も報告されている。

ところで、宗門が春季総登山に三万人の結集を煽っているのは、約六千万円
の御開扉料を狙ってのことだとの宗内の声もある。

高すぎる御開扉料

清水寺(京都)など代表的な大寺院は近年、拝観料を値上げしたが、それでも
奈良や京都の寺院の拝観料は三百円とか五百円、高くても八百円程度で、国宝
や重要文化財を観賞できる。東京では浅草寺や巣鴨の高岩寺などは無料だ。大
石寺の御開扉料二千円は高すぎる。

かつて大石寺は建物の屋根が壊れ、畳や壁などは傷み放題で、法華講も供養
しなかったから、学会の戸田第二代会長が大石寺の窮状を見かねて始めた登山
会だった。だが、今は法華講から大金を集めて建物は新興宗教のように新しく
なった。

功徳もなくなった現在、これ以上、高額の御開扉料を収奪すれば登山者が減
り続けるのは当然である。

 

フェイク 第1607号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 3月17日(土)14時30分24秒
  (発行=18.03.16)

「今の五座三座は日昇法主の時から」
無知な法華講員の愚かな批判を粉砕 ㊦
日寛上人「方便・自我偈、題目で良い」

日蓮正宗の法華講員が各地に出没して批判している日寛上人書写の御形木御
本尊に関しては既に再三、破折した。最近では本紙一六〇〇~一六〇二号で三
回にわたり①相貌 ②授与書き③法主による開眼 ④法主の許可、の四つの視点
から徹底的に破折を加えた。

また法主の血脈が断絶した事実を日顕も認めており、それを本紙一五三二号
で紹介した。

そこで今号では「五座三座の勤行をしないのは大聖人門下ではない」との的
外れな批判をする法華講員に勤行の変遷を教える。無知な法華講員は五座三座
の勤行が日蓮大聖人以来、宗門七百年の伝統だと言い張るが、それは間違いで
ある。

 いつ頃から勤行が五座三座の形式になったのか、それを示す正式な記録は宗
門には残っていない。

 ただ、日寛上人が加賀の信徒・福原式治に与えられた書状の中で「五座三座」
について述べられているので、その書状を記された江戸時代中期の享保四年(
一七一九年)頃には本山だけで行われていたようだ。

だが、信徒に対して五座三座をしなければならない、とは強要されてはいな
い。「方便品と自我偈と題目でよい」と言われ、また、勤めの関係等でそれも
出来ない時には題目一遍だけ唱えるよう指南されていた。

日寛上人は勤行の形式を強要するのではなく、あくまでも信心の発露を大事
にされていたことが分かる。

 勤行嫌いで知られる日顕は、かつて「私ども小僧の時には全部、長行を読
んだのですよ」と言った後で勤行の変遷を述べて「今のような形で勤行をする
ようになったのは、第六十四世水谷日昇猊下の時だった」と明言したことがあ
る。

この日顕の話でも明らかなように、五座三座の勤行は宗門七百年の伝統では
なく、日昇法主の時に今の所作に変わったにすぎない。

法華講員は他教団の勤行について難癖をつける前に、宗門の紆余曲折した勤
行の変遷を学び直し、日顕と日如に実践するよう進言せよ。

勤行嫌いな日顕・日如

日顕はニセ法主の座に三十年近く居座り続けたが、夜の三座の勤行をしたの
は僅か一度だけという懈怠ぶりだ。大石寺では六壺で毎日午後四時から夜の勤
行を行うのを常とする。だが、日顕は「大奥で色々な仕事があって忙しい」と
の理由で常に欠席したが、一日だけ発心したことがあった。

昭和六十年春、当時の仲居に「ワシも明日から六壺で勤行をするからな。信
心根本でなきゃいかん」と言ったものの、勤行したのは、その翌日の一度だけ。
同六十三年にも「勤行に出てやる」と言ったが、この時は口先だけに終わった。

日如も昔から勤行をサボっていたことを改革同盟の渡辺雄範氏が「決別の書」
で次のように指弾した。

「あなた(日如のこと)は、どうして信仰の基本である勤行を平気でさぼるの
でしょうか。本山に午前八時に出発する時でさえ、朝七時からの勤行をするの
を見たことがありません。また、夕方、来客があると、午後六時からの寺の勤
行もせず、客と一緒に外食に出掛けてしまいます」

 この日如が法華講に唱題、折伏、供養を強要している。


 

フェイク 第1606号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 3月16日(金)12時56分49秒
  (発行=18.03.15)

「極楽寺良観の再来が日蓮正宗の中に」
無知な法華講員の愚かな批判を粉砕 ㊤
戸田先生が「佐渡御書」講義で厳しく指弾

日蓮正宗の各末寺での御講は参加者が減っている。「御報恩御講」と銘打っ
て日蓮大聖人の命日である十三日に行っていたのを命日とは無関係の第二日曜
日に実施するように変更したが、それでも参加者は増えない。

それは法華講員が減っているからだが、もう一つの理由は坊主が拝聴に値し
ない下手な説法をしているからである。そこで宗門では来月から拝読御書や坊
主の話を統一するとのことだが、効果は期待できない。

この御講ばかりか、登山会参加者も減り続けており、特に、春季総登山会(三
月二十四・二十五日)を前に登山者の確保に血眼になっている。加えて、早瀬
日如をはじめ布教部長の阿部信彰や末寺坊主に「誓願の達成」を煽られている
法華講員は勧誘に狂奔している。

だが、成果が一向に上がらないため、学会員を脱会させようとして群れて各
地に出没しては追い払われる惨めな姿が見受けられる。

 これら法華講員の主な言い分は ①牧口初代会長、戸田第二代会長の指導は
正しくて三代会長以降、学会は変質した ②学会授与の日寛上人書写の御本尊
は本山の許可がないからニセ本尊だ ③五座三座の勤行をしていないのは日蓮
大聖人の門下ではない ④法主の血脈を否定するのは謗法だ、等々の戯言であ
る。

 本号では、まず法華講員も認める戸田第二代会長の「正しい指導」のうち「
佐渡御書」の「般泥洹経に云く『当来の世仮りに袈裟を被て我が法の中に於て
出家学道し懶惰懈怠にして此れ等の方等契経を誹謗すること有らん当に知るべ
し此等は皆是今日の諸の異道の輩なり』等云云」の箇所の講義を引用する。

これは昭和三十一年二月七日、大阪・中之島公会堂での講義で、これまで様
々な機会に取り上げられてきたが、割愛されたものも目立つので、改めて該当
箇所を詳しく紹介する。

 「当来世において、すなわちこれから先の世において、大乗を学しない懶楕
懈怠にして、法華経を誹謗する悪い僧が生まれてくるというのです。どういう
のが悪い僧となって生まれるのかというと、いま釈尊の出た時に外道のバラモ
ンをやって、仏法の悪口をいっているのが、そういうふうに生まれてくるのだ
というのです。

そうなってくると、大聖人様の時代に良観とか、あるいは法然とかの弟子な
どになる連中は、いったい過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をく
さした外道の者が生まれてきて、形だけ仏法をやって、こんどは正法に邪魔す
るのです。

大聖人様を迫害した良観たちが、いま生まれてきて仏立宗等の坊主になって
いるのです。本当です。この原理からいうとそうなります。そうでないとした
ら、大聖人様がウソをついたことになります。大聖人様をさんざんいじめた悪
い者が、仏立宗日扇などという徒輩になったのです。

いま仏立宗の坊主などをみたら〝ああ大聖人様をいじめた者だな〟と、こう
思えばいいのです。

霊友会でも立正佼成会でも、天理教の教祖でも、みんなあれは仏法を悪くい
ってきた者が、あのようになって出てきたのです」

「こんど、それではどうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、こん
どは日蓮正宗のなかに生まれてくるのです。そして蓮華寺の僧侶みたいになっ
てくるのです。まことにこれは面白いものです」

実に明快な講義である。

 このあと「いま、わが創価学会が広宣流布をして、日本民衆を救わんと立つ
にあたって、それを邪魔するのは大聖人様の時に邪魔した僧侶が、いま日蓮宗
の仮面をかぶって生まれてきているのです。そういう原理がきちんと出ている
のだから、こわいものです」(戸田会長全集第六巻所収)

 このように学会が広宣流布を進める時には、それを破壊しようとする魔が出
現する。この広布破壊の魔は、六師外道(釈迦在世)→極楽寺良観等(大聖人
在世)→邪宗日蓮系教祖(戸田会長当時)と形を変えながら、外道→内道・爾
前権教→実教へと、仏法の内側に入り込んでくるというのだ。

 この原理からみて、第二代会長の戸田先生は、天魔は将来、必ずや日蓮正宗
の中に出現して学会に敵対すると断言していた。

ここで戸田先生が「蓮華寺の僧侶」と指弾しているのが、昭和三十年に「学
会員には御本尊を下付しない。すでに下付した御本尊を寺に返せ」と脅してき
た蓮華寺(大阪)の崎尾正道という悪僧だ。戸田先生の亡き後、崎尾と同様に御
本尊を道具に使って、学会員を脅してきた坊主が日顕である。

戸田先生の指導によれば、日顕こそ第六天魔王の血脈を継ぐ極悪坊主で、崎
尾の再来、極楽寺良観の生まれ変わりと言ってよい。
 このため日顕と良観は酷似した点が多い。良観(忍性)は表面的には「生き
仏」を装って貧しい人や病人には食事や薬を与え、道路を補修し、川には橋を
架けるなど慈善事業をしていたが、その陰では多くの人々の苦しみを省みるこ
となく通行税など多額の費用を集めて私腹を肥やしていた。

日顕が僅か四千万円の六万塔を建てるのに二十一億円もの供養を集めたのを
はじめ、客殿に四十一億円、奉安堂に約二百億円など大金を湯水のように使っ
て普請道楽に耽り、莫大な供養を法華講員から搾り取った悪辣な手口に似てい
る。

酷似する日顕と良観

大聖人は極楽寺良観の本質を、どのように言われていたかというと――

「一には名は持戒ときこゆれども実には放逸なるか・二には慳貪なるか・三
には嫉妬なるか・四には邪見なるか・五には婬乱なるか・此の五にはすぐべか
らず」(下山御消息)と、大聖人は良観の化けの皮を暴かれたが、日顕も「本
仏」気取りで良観と同じである。

まず「放逸」とは辞書によると「我が儘なこと」「乱暴なこと」等とある。
我が儘な幼児性と凶暴さを併せ持つ日顕を彷彿とさせる。

次に慳貪だが、日顕が強欲なことは周知の事実で、都内一等地の豪邸に住み、
衣食住の全般にわたって贅沢の限りを尽くしている。

日顕が嫉妬深いのも有名だ。日顕に相承しなかった日達法主に対する恨みと
嫉妬から大化城、大客殿、六壷を潰し、広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき
大殿堂と、日達法主が教示していた正本堂も約五十億円の巨費を投じて解体し
た。

池田先生に対する日顕の激しい嫉妬は言うまでもない。また日顕は物事が転
倒して見えるため、大聖人の教え通りに折伏行に励む学会員を破門した「邪見
の者」である。更に日顕の「婬乱」については幾つもの実例があるが、紙面が
汚れるので詳述はしない。

良観と酷似している日顕が学会の宗教法人化に反対するなど悪辣な性根は生
来のもので、戸田先生は鋭く見抜いて弾呵していた。

日顕の「坊主根性」

そのことを日顕も認めていて「戸田会長先生の御逝去に対して」と題し、次
のように記していた。

「私の罪障と云はうか、先生の云ういはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年
頃の私は、自らの心にある垣根を作り、それが円融濶達にして師厳道尊なる先
生の精神に半ば通じない事があったのは、今更遺憾懺愧此の上もないのである」
(「大日蓮」昭和三十三年五月号)

このように記した日顕だが、その性根を改めることはなかった。

もし、日顕が「坊主根性」を猛省し、改めていれば、今日のような宗門の衰
退を招く事態には至らなかったであろう。(つづく)


 

フェイク 第1605号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 2月22日(木)22時33分47秒
  (発行=18.02.21)

日顕「椅子の者は来るな、祈念が乱れる」
春季登山に苦悩し、車イスを貸出すと甘言
顰蹙買った顕正会の結集を真似る宗門

 法華講の春季総登山会を三月二十四・二十五日に大石寺で行なう日蓮正宗は
参加者の確保に四苦八苦している。宗務院が昨年十一月、末寺毎に割り当て人
数を決めて締め付ける一方、機関紙「大白法」は毎号、特集記事を掲載してい
る。

 その特集の中で面白いのは「車イスの貸し出し」との見出しで「総本山では、
登山会中の境内地の移動用として車イスを貸し出しています。貸し出し・返却
の手続きは……」等と記した記事である。

 一見すると、温かい対応のように感じる向きもあるが、実は、これは親切心
からではない。以前、邪教・顕正会が総会に病人や歩行困難な高齢者、体の不
自由な人を車イスに乗せて無理に連れ出し、世間の顰蹙を買ったことがある。
こんな顕正会の強引で悪辣な結集の手口を日蓮正宗が真似しているのである。

 車イスを使用している人達は客殿での丑寅勤行、日如の講義には参加できな
い。主要行事の第五十五回法華講総会もメイン会場ではなく、別会場で中継の
映像を見ることになるだろう。

 歩行困難の信徒に登山を強要しておきながら、中継を見せるだけとは無慈悲
の極みと言わねばならない。

 この車イスを貸し出すのが親切心ではないというのは平成六年五月二十三日、
日顕が椅子に座っていた人に対して言った暴言に本心が表れていたからである。

 丑寅勤行後の日顕は怖い形相で会場後方を睨みつけて「後ろの方で椅子に座
っている人、広宣流布を御祈念する丑寅勤行が乱れるから椅子に座っての参加
はやめるように。どうしても椅子に掛けなければならない人は明日からの参加
を遠慮するように」と冷たく言い放った。これが坊主の本音なのである。

 そこには車イスを使用している高齢者や身障者がいた。参加者は日顕の冷酷
非道な言葉に唖然となって、場内は凍りつき、足の不自由な人にイスを用意し
ていた役員はショックを受けて立ちすくんでいた。

無慈悲な対応に怒り

 かつて、信善寺(新潟県三条市)の講員だったMさんは次のように証言したこ
とがある。

 「足の調子が悪くて車イスで登山したが、車イスでは客殿に入ることを許さ
れず、宿坊で中継のテレビを見せられた。あれほど『登山しろ、供養しろ』と
言いながら、供養を取るだけ取って、こんな酷い、冷たい扱いをするのが宗門
です」

 Mさんは大石寺の無慈悲な対応に怒りを爆発させて脱講した。

 イスに座る人がいては、祈念が乱れるというのなら、御開扉はどうなるのか


 奉安堂では参拝者全員がイスに座っているではないか。日顕の言い分からす
ると、御開扉での導師の坊主は〝ご祈念が乱れている〟ことになる。

 この日顕自身も最近は足腰が弱って車イスを使っていると噂されている。

 春季総登山は毎年、三万人の結集を目標にしているが、一度も達成できてい
ない。病人や歩行困難な高齢者、身障者を登山させるため車イスを貸し出すと
言う宗門だが、この甘言に騙されて登山しても無慈悲で冷たい扱いを受けるだ
けだ。

 

フェイク 第1604号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年 2月16日(金)12時24分18秒
  (発行=18.02.14)

「臨終ニ当リ俄ニ法号ヲ乞フハ愚挙」
無知な「大白法」の妄論を破折する ㊦
「葬式に僧を呼ばないのは大聖人の考え」

日蓮正宗の機関紙「大白法」が書いていた御授戒の記事は間違いで、実際は
学会の初代会長・牧口先生の提案により始めたことは前号で記した。今号では
戒名不要論、葬儀の僧侶不要に関して述べることにする。

まず、死後の戒名については日蓮大聖人の御入滅から約二百年も経った頃に
発生したと言われている。この「亡くなった時につける戒名」について碩学の
日亨上人は「臨終ニ当リテ俄ニ法号ヲ乞フガ如キ愚挙ナキヲ期スベキナリ」と
記されている。これを「大白法」編集部は知らないのか?

仏教発祥の地のインドにも戒名の習慣はなかった。

中国では本名に「字」(あざな=生前の通称)や「諱」(いみな=死者への
贈り名)をつける習慣があり、そこから出家者に法名が与えられるようになっ
たが、死後に戒名をつけたのではない。

我が国では仏教伝来の頃から中国と同じく出家名・受戒名が用いられ、奈良
・平安時代には、聖武天皇には「勝満」、藤原道長には「行覚」など、上流貴
族が受戒すると戒名とか法名が与えられていた。これは出家名の意味で、今の
死後の戒名とは異なる

日蓮大聖人は、御両親を正法に導かれて「日蓮」の一字ずつをとり、父に「
妙日」、母に「妙蓮」の法名を授けられたと伝えられているが、御書には「戒
名」の語句はない。

富木常忍の「常忍」、南条時光の「大行」なども生前からのもので死後の戒
名ではない。

つまり、大聖人御在世当時は出家名のみで、死後の戒名の慣習はなかった。

死後の戒名は故人の成仏に全く関係ないのである。

 次に葬儀については昭和四十三年十一月度本部幹部会で池田会長(当時)が「
化儀は時代に即応」との視点から葬式仏教ではなく生きるための仏教であり、
葬式に必ずしも僧を呼ぶ必要はないと述べて「呼びたい人は呼んでもいいが、
呼びたくなければ呼ばなくてもいい」と強調した。

しかも「これについては、総本山も大聖人の根本精神につながった考えです」
と宗門が賛同していた事実を明かしていた。

 それを今になって葬儀に僧が必要だと信徒を欺いているのが日蓮正宗である。

御書には「南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せ
しむ」と指南されている。

故人の成仏は、葬儀の規模・形式、坊主の導師の有無など関係ない。題目を
根本とした追善回向が肝心であり、真心の題目で送る学会の友人葬、家族葬に
参列者からも感動と賛同の声が寄せられている。

昨年は「アエラ」でも「友人葬という〝先端〟」と題して友人葬を取り上げ
ていた。「僧侶の代わりに『導師』という古参の学会員が進行役を担い、遣族、
親族、参列している学会員たちも一緒にお題目の『南無妙法蓮華経』を唱える。
導師は創価学会の『儀典部』に所属。信仰歴が長く、教義に造詣が深く、葬儀
方法を熟知しているベテランが多い」と紹介。「お布施が必要なく、戒名もな
い。原則として香典も必要ない」等と記して反響を呼んでいた。

葬儀の先端で仏教の本義に照らしても正しい友人葬、家族葬が時代の流れで
ある。


 

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