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宮古伝言板

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 6月 4日(土)12時18分36秒
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  宮古伝言板が役目を終えたとのことで閉じられました。さびしいです。

宮古の同期生たちの、知りうる限りの近況をつれづれに書きます。

前にも書きましたが、二人が犠牲に。合掌
生鮮品を販売していたY君、津波で被災し、商売再会に迷っていたが再開との報でひと安心。
日曜雑貨の卸業のT君も津波で被災し且つ入院していたとの事。先日退院し、商売再開との報を聞き、まんづよがった。
かまぼこ製造のS君、工場が被災し再開しないが会館(冠婚葬祭?)業もやっているのでそちらの事業継続との事。
自営業で被災した同期生は以上になりますか。

あとはそれぞれ定年を迎えた者も多数あり、なんとか元気なようです。宮古で喫茶店をやっている同期生がいて、情報の収集と発信源にもなっている様子です。

再来週、盛岡のいつものメンバーで集まって「元気だった会」みたいなのをやる予定です。
 
 

宮古へ戻る

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 5月 3日(火)22時02分8秒
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  姪の一家が一ヶ月予の盛岡暮らしを終えて宮古へ帰って行きました。着の身着のままで盛岡へ来ましたが、帰りはそれなりの荷物になりました。

知り合いからバンを借りて荷物を運ぶ手伝いをしました。バンの方に乗った姪と宮古へつくまで色々な事を話しました。こんな事でもなければ2時間程話し込むということもないだろうなと思いながら。

しかし姪の一家はこれから色々しなければならない事がいっぱいあるし、家財道具も揃えていかねばなりません。自分にできる事はやってあげますが、ほとんどは自らの力でつくっていくしかないのです。きびしいと思いますが姪は明るい性格なので乗り越えられると思います。     ガンバですね。
 

愛かなえ デビュー

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 4月21日(木)21時39分31秒
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  宮古から歌手がデビュー!  愛かなえ   いい名前だなと思います。18歳という事ですが、金沢美咲  以来ですから何年ぶりでしょうか。なかなか伸びやかな声をしています。  本名は 盛合奏恵
大いに羽ばたいて希望を広げて欲しいです。

余談ですが、私の友も歌好きで玄人裸足です。3月に自前のコンサートを予定していました。とうぜん中止になりましたが残念でした。  いつか実現して欲しいものです。
 

Re: あれから一ヶ月

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 4月11日(月)22時05分16秒
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  > もう一ヶ月が過ぎたのか、まだ一ヶ月しか過ぎてないのか!  一度目に宮古を見たとき言葉に出来ない、本当に何とも言えなくて、胸がぎゅーっとしてくるのが分かったが、二度目に宮古に帰った時は気持ちはやや落ち着いていました。  その日は田老を回って岩泉にも寄って盛岡へ帰って来ましたが、その田老は鍬ケ崎以上に何にも無くなっていました。あの大津波の前に防波堤の上から海を見ていた人もあったそうです。その人がどうなったかは言うまでもないと思います。

今、こんな結果になった後ではそんな人を浅はかと思う人も多いと思いますが、ただあんな津波を予想した人はほとんど居なかったと思います。自分だってその場にいればどういう行動をとったか予想がつきません。行方不明の宮古の従兄弟もこんなに重大な事態は考えもしなかったのでしょう。

今日の午後2時46分は安代を移動中でしたが、ラジオの放送に合わせて黙祷をし皆さんのご冥福を祈りました。
 

あれから一ヶ月

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 4月11日(月)21時50分21秒
返信・引用
  もう一ヶ月が過ぎたのか、まだ一ヶ月しか過ぎてないのか!  一度目に宮古を見たとき言葉に出来ない、本当に何とも言えなくて、胸がぎゅーっとしてくるのが分かったが、二度目に宮古に帰った時は気持ちはやや落ち着いていました。  その日は田老を回って岩泉にも寄って盛岡へ帰って来ましたが、その田老は鍬ケ崎以上に何にも無くなっていました。あの大津波の前に防波堤の上から海を見ていた人もあったそうです。その人がどうなったかは言うまでもないと思います。

以前の日常はまだ戻っていませんが、この先の日常はというものはきっと違ったものになって行くでしょう。

 

二度目の

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 4月 6日(水)20時38分46秒
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  震災後、二度目の宮古入りでした。前回よりは大分  町の様子も良くなっていましたが、横丁とか鍬ケ崎とかはまだひどい状況のままでした。  パークホテルはこれから仮設住宅の設置隊が400人以上、1ヶ月程宿泊するとのことで、復興への足音を一つ聞いた気がして力強く感じました。

一方、家に帰って食事を終わったらすぐ同級生から電話があり、この震災で二人が犠牲になったと聴きました。金浜の同級生の家を尋ねて無事を確認しほっとしたところへ、この連絡でまた気落ちしてしまいました。
 

徐々に

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 3月31日(木)20時03分55秒
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  従兄弟の安否がまだ分かりません。

宮古の災害FMでの情報発信がラジオで紹介されたり、浄土ケ浜の漂流物の撤去が紹介が新聞で紹介されたりと、復旧の流れが伝わって来ます。色々交錯しながら復興して行きます。

宮古の友達は「宮古でタバコが消えてしまった。盛岡にないか?」とSOS。早速調達して送ってやりました。今はもうどこも品切れ状態です。これを機会にタバコをやめることを真剣に考えなきゃ!  とのたまわっていました。

次に宮古へ行った時は風景がまた変わってるだろうななどと考えています。
 

宮古へ 2

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 3月28日(月)21時47分54秒
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  色々な状況を見ても写真はとても撮す気にはなれませんでした。

先ほどの磯鶏の同級生は店が壊れたひどい状況の中でも、自分の目には落ち着いて見えました。身中はひどく揺れているかも知れませんが強いなと感じました。

母校の一中と宮高は何事もなかったように静かでしたが、堤防を越えてサッカーとラグビーのグランドを見るとラグビーポストがなぎ倒されて津波が通って行った痕跡を残しています。

盛岡へ戻って来て見ると、あの宮古の情景は本当だったのかなとも感じているのが不思議です。

改めていろんな人の安否に想いを馳せていると、自分も沢山の人に関わっているんだなというのが良く分かります。
自分の家族、友達、近い親戚と遠い親戚、昔の仲間、仕事で知りあった人達、多くの人が先にこちらの無事を尋ねてくれます。

この先もこれらの人達の関わりを大事にして行きたいなと感じています。みんな頑張ろうね。
 

地震後、初めて宮古へ 1

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 3月26日(土)22時54分16秒
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  木曜日、初めて宮古へ入りました。

最初に友達の家を訪ね、頼んでいた姪の住居探しの情報を色々おしえてもらいました。

その後街の 中へ入り末広町から中央通り、市役所前から築地、鍬ケ崎そしてパークホテルと走る程に胸が苦しくなります。今まで経験したことがない想いでした。      それはテレビの画像や新聞の写真で見るのとはまったく違う生の空気から伝わる何かの……ひどい、という言葉では言い尽くせない状況でした。道路の両側に積み上げられた瓦礫や道路にはあり得ない船、折れた電柱とか商店の何かが強く当たって大きく凹んだシャッター。道路には至る所に泥の跡。その中で人々が後片づけやら掃除やらをゆっくりとおこなっています。

しかしそれは町の中心部の光景で、鍬ケ崎の方へ入ると光景は一変し、殆どの家がなぎ倒されていると言ってもいいくらいの信じられない風景です。警察のパトカーと警官の交通整理。更に自衛隊の人達の瓦礫の撤去作業。前須賀らしきところから清水橋、鍬ケ崎小学校方面を見やっても町並みの想像がつかないくらい家々がひしゃげ、つぶれてしまっています。日立浜も同じ様相でした。

パークホテルに入ると、ロビーには布団と毛布が敷かれ、大宴会場ではホテルのスタッフが一面に広がった支援物資の仕分けをもくもくとされていました。今は170人避難しているそうです。

磯鶏の同級生の家を訪ねました。生鮮品や日用雑貨の店をやっていますが、埠頭から木材が流されてきて一階の店が大きく壊れていました。二階の住居はあまり被害はなかったのですが、電気がまだきておらず寒い中辛抱していました。その彼も地震の時は魚市場にいて午後のセリの最中だったそうです。それでも何とか磯鶏までたどり着き、二階ので津波をやり過ごしたと淡々と話していました。

少し疲れて来ました。続きはまた書きます。

 

(無題)

 投稿者:まっこけっこ  投稿日:2011年 3月18日(金)17時11分58秒
返信・引用
  一年ぶりの書き込みですが、大災害になってしまいました。

以前の会社で親しくしていた人が犠牲になりました。やるせない気持ちです。時間が経てばその会社の他の人たちの消息も分かってくると思いますが、あまり辛い情報は知りたくないなといまから鬱々たる想いがあります。

幸いにも家族、親族関係は一部を除いて大丈夫でした。何よりでした。

還暦になってからこんな経験をするなんて、思っても見ないことでした。自分の会社もお客さまの皆さんも仕事ができない状況です。これからどうなるのかという不安と、頑張らねばという想いと交錯しています。
 

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