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フェイク 第1636号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 2月28日(木)12時26分37秒
  (発行=19.02.27)

原発を以前は肯定、今は否定
顕正会・浅井昭衛はご都合主義の二枚舌
勧誘のため真逆の事を言う変説漢

 顕正会の複数の会員と先日、対話した人の話によると、会員達は浅井昭衛の
指導は昔から正本堂や原発に関しても一貫して変わらないと強調していたとい
う。

そこで顕正会の前身の妙信講は正本堂の御供養に参加したが、後になって誹
謗するように変わったこと、また今、原発は「原発全廃特集号」「原発廃絶特
集号」等の機関紙を出して、浅井が「原発を即時全廃せよ」と叫んでいるが、
以前は逆で肯定していた旨、指摘すると、顕正会員は正本堂については「意義
付けが変わった」と変な逃げ口上を述べていたようだ。

だが、真相は自己顕示欲の強い浅井が、建立の主導権を握られなかったので、
当時の日達法主や宗門の公式見解に難癖を付けたのだ。

また、原発について顕正会員は「もともと反対だった、この主張は今も昔も
変わらない」と言い張っていたとのことである。

 浅井が原発の推進論者であった事実を本紙では再三、平成五年六月六日の青
森大会での質問に対する浅井の回答を要約して紹介したが、本号では要約では
なく「原発がないと経済成長は三分の一になって、生活できない」「原発反対
は核アレルギーに対する与同」「 原発反対の本質はロシアの対日謀略政策」
「原発反対は日本の国益に反する」「原発で死んだ人はいない。原発に反対す
るくらいなら、死亡事故の多い車に反対しろ」「原発反対は感情論」「原発問
題なんか小さい」等々、原発に関する浅井の話の関係個所の全てを以下に掲載
する。

   ☆   ☆
質問 青森県・六ヶ所村の核燃料基地が話題になっていますが、日本の原子
力利用をどう見たらよろしいでしょうか?

浅井の回答 青森だけなんですかねえ、今の原子力のエネルギーの核燃料基
地っていうのがあるのは六ヶ所村に。おそらく、まあ、そこが一番適当だって
いうんで日本政府が選んだんでしょうけどね。

 まあ、これは直接、仏法とは関係ない、あのー話題でありますけど、まあ私
は、こう思うんですね。

 えー、今この発展しつつある経済、この経済発展を支えているエネルギー、
これはもう石油には頼れないんだろうと。今後、石油は枯渇しますからね。

そうすると、どうしても、もう、いかなる国も人類全体が新しいエネルギー
源としてですね、原子力に頼らざるを得ない。

これもし頼らないということになってくると日本の今の経済生活、どうなん
でしょうか、大変なことになるんでしょうね。

 おそらく今の、あれでしょ、エネルギーの中で全国の発電量の三十%迄いっ
てるんじゃないですか、現在、原子力の発電が。だから原子力を全部、日本人
がですね、ダメだ捨てろ、捨てろと言うと、三十パーセントの電力がなくなっ
ちゃうから、経済成長も三分の一にダウンしちゃう。と、日本は生活できない
ですね。

 それ、日本だけじゃない。全世界が、もう核エネルギーっていうことを使っ
て、現在の生活が成り立っている。まあ、そこで私、思うんですね。もうロシ
アのような、もう、ああいう国になりますとね、核燃料は使い捨て、そして管
理はメチャ、メチャ、だからチェルノブイリみたいなことが起こるんですね。
ああいう使い方はいけないけれども、核燃料をもう避けて通ることができない
んだったらば、それを完全に安全管理する、これやっぱり、人間の一つの知恵
なんでしょ。

 その中においては、日本の国は最も用心深く安全に管理しているんではな
いか、私、そう思うんですね。

 もし、それを核燃料を核アレルギーからですね、全部、捨てろ、捨てろって
言うのは、今の日本の経済生活を全部、否定して昔に戻るんだと、もう電力な
んかいらないと、言うんだったら構いませんけども、今の生活を維持しようっ
ていうんだったら、核エネルギーっていうことを、無視することはできないん
だから、これを用心深く安全管理する日本なら、それをやれているんではない
かと思う。

 ところが、何でこれを反対、反対、反対ってことが、これ、喧しいかといい
ますとですね、これ社会党が言ってるんですよ。

 実は、社会党が以前から反対していることは三つあったんですね。

 自衛隊反対、これは違憲、憲法違反です。自衛隊なんか解体しろ。

 もう一つ、原発反対っていうんでしょ。現行の原子力、原子力の核は核兵器
に通ずる、なんて言って、みんなが日本人はヒロシマ・ナガサキっていうんで
核アレルギーを起こしている。それに与同してですね、その原発もいけないっ
ていう。

 それからもう一つ、日韓、この条約を破棄しろ、と言って、韓国との交渉も、
これするなと、こう言ってる。

 で、このようなことを今になってみて社会党が困っちゃって、これじゃもう
この、選挙負けるということで全部それを変更し始めたでしょ。

 自衛隊も容認すると。原発も容認する、なんて言ったけど、もう既に遅い。
そのように社会党が騒ぎに騒いだから、みんな国民が何か、私は誤解をしてい
る。社会党が何故、騒いだかわかりますか? ソ連の政策だったんですよ。

ソ連が何としても日本を弱くしようと、それで自衛隊を解散させろと。で自
衛隊は違憲、違憲、憲法違反って、それから原子力、 これを日本が利用する
ってことは、ますます経済発展になる。だから原発反対しろと。それに社会党
が、いわゆるソ連の、日本に対する対日謀略の手先になった。

 ですから、今、社会党が、一番触れられたくない問題が何かというと、ソ連
から資金援助を受けたんですね。ソビエトから物凄い資金援助を受けてきた。

 この場合、これは今、ソビエト共産党が崩壊することによって機密文書が出
て、どんどん社会党に援助したことが文書が出てんで、社会党が一番困ってる。

このように、外国からお金をもらって、日本の国益に反するようなことをや
っておったのが、あのかつての社会党だったんです。そこに今の社会党の誠に
惨めったらしい姿が出てきてるんですね。

「原発反対は感情論」

 まあ、そこに私は今のこの原子力発電っていうことを反対、核エネルギー
反対って言って、これを全部、破棄しろというんだったら、そいで危険だとい
うんだったら、しかし日本でもって、この原発でもって誰が死んだんでしょう
か? 誰も死なないでしょ。私は非常に用心深くやられてると思うし、もし、
これが危険だ、危ないんだって言って止めるんだったらね、自動車乗るのをや
めたらどうかと思う。原発じゃ、まだ死んでないけど、自動車じゃ年間一万数
千人死んでるんですから、事故でもって。それこそ一万数千人から死んでる自
動車、みんな止めろって言って、ホントはこれに賛成しなきゃならない。

 また、ゴールデンウィークなんたって、あれやると必ず、山で死んだ、海で
死んだって、必ず数十人、毎年死ぬんですよ。休まない方がいいじゃないです
か。

 だから、そうなってくるとですね、今の核、この、原発反対ってことは、い
かにも感情論なんだと、私は思うんですね。

   ☆   ☆
 この後、浅井は「原発の問題なんかちっちゃい」と言って、原発よりも北朝
鮮の核ミサイル、中国の核兵器が危険だと述べていた。

 浅井は福島の原発事故を機に反省もしないで、勧誘目的のため真逆の事を言
う変説漢なのである。


 
 

フェイク 第1635号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 2月 5日(火)00時00分46秒
  (発行=19.01.30)

日顕「信心がイヤになろうが関係ない」
「大白法」の「光明」欄の間違いを正す ㊦
学会寄進の寺を受ける裏で破壊の陰謀

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」(一月十六日付)の「光明」欄で「平成の
始まりは創価学会の邪宗・邪義化から」と書いていたが、本紙1633・16
34号で述べた通り、日顕の〝癇癪の発作〟が全ての発端で、学会には何一つ
「邪宗・邪義化」などなかったことが明白である。

宗門は学会攻撃について謀議を重ね、また、密かに入手した名誉会長発言の
盗みどりテープを使って学会を問責したのであった。

 その間、平成二年十月に大石寺開創七百年を迎えたので、それに先立って学
会の静岡県青年部約八千人が参加して記念文化祭を盛大に本山内で開催した。

日顕は腹黒い陰謀を隠し、笑顔で演技を見守り、拍手して退場の際には手を
振って出場者に応えてみせた。

この記念文化祭に続いて、大石寺開創七百年慶讃法要が大石寺で奉修された。
その際、日顕は慶讃委員長を務めて一連の慶祝行事を遂行した池田名誉会長に
感謝状と記念品を贈呈し、感謝の意を表明していた。

しかし、その裏で「C作戦」実行の機会を虎視眈々と狙っていたのだから恐
るべき欺瞞ぶりである。

 また、臨時宗会で法華講総講頭を罷免する直前の十二月二十一日、三重県・
仏徳寺の寄進を学会から平然と受けとった。宗務院発行の「富士年表」では、
この記念文化祭を削除し、仏徳寺は学会寄進ではなく宗門が自力で建立したか
のように改竄している。

 平成三年一月二日、登山した秋谷会長、森田理事長に対し、日顕は〝目通り
適わぬ〟と対面を拒否。一切、話し合おうとしなかった。

 一月六日に日顕は全国教師指導会で正本堂の意義を歪める説法をして名誉会
長を慢心呼ばわりした。

 日顕は学会を破壊して学会員を盗み取る魂胆だった。

 三月になると、宗門は七月から月例登山を廃止して添書登山にすると学会に
通知。六月五日には一般紙に「創価学会の皆様へ」「大石寺登山についてのお
知らせ」を掲載した。

これにより、日顕らは脱会して寺に付く学会員が増えると勘違いしていたよ
うだが、大きな誤算だった。

 八月二十九日の教師指導会で末寺住職が信徒の指導について質問した際、日
顕は「信心がイヤになろうが関係ないんだ。そんな奴は頭からカマシてやれば
いいんだ」と暴言を吐くまでに狂っていた。

こういう経過の後、十一月七日に「解散勧告書」を、同月二十八日に「破門
通告書」を学会に送付したのだ。


 

フェイク 第1634号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 2月 4日(月)00時00分42秒
  (発行=19.01.29)

謀議を重ね日顕が「C作戦」と命名
「大白法」の「光明」欄の間違いを正す ㊥
日顕は供養料値上げの件で学会に恨み

 日蓮正宗は平成二年三月十三日、御本尊下付願、永代供養料、塔婆供養料、
納骨保管料などの値上げを学会に一方的に通告した。特に、永代供養、塔婆供
養などは倍額にするというものであった。問答無用の一方的な通告であり、こ
れを学会は受け入れた。

 それでも日顕の怒りは治まることはなかった。平成元年の供養料の値上げの
件で、日顕の胸中には池田名誉会長や学会執行部に対する根強い恨みが生じた
と言われている。

 平成二年七月十六日に日顕らが文京区西片の大石寺東京出張所で謀議(西片
会議)。この時、日顕は激しい口調で名誉会長の追放を主張。更に、平成元年
に学会が値上げに反対した遺恨を晴らそうと、学会の財務中止を強調した。

 続いて、同月十八日にも大石寺大書院で謀議(御前会議)。席上、日顕が名
誉会長追放の陰謀を「C作戦」と命名した。この会議では学会に反撃の口実を
与えないために僧の綱紀自粛が先という河辺慈篤、藤本日潤、早瀬義寛(今の
日如)らの意見によって、この時点での「C作戦」の実施は見送られた。

 そして平成二年八月二十九日、大石寺での全国教師講習会の際、教師指導会
を開いて二十一項目にわたる綱紀自粛を徹底し、学会攻撃、なかでも名誉会長
一人に標的を絞って追放の機会を待っていた。

 謀略紙「慧妙」が最近になって「C作戦はなかった」とか「からかい目的」
(平成三十年七月一日付)だったと、戯言を書いている。

 何も知らない所化小僧が書いている「大白法」と違って、詳しい経過を知っ
ている妙観講の執筆陣が意図的に事実を捻じ曲げて書く「慧妙」は実に質が悪
い。

「C作戦」については、日顕自身が平成三年三月五日に「あの野郎の首を切る
ことだ」と名誉会長の処分が目的だと明言していた。

宗規改正で総講頭罷免

 平成二年十一月十六日に東京戸田記念講堂で開催された創価学会の第三十五
回本部幹部会での名誉会長発言の盗みどりテープを宗門は密かに入手。そのテ
ープに録音された名誉会長の発言に難癖をつけたのである。

 十二月十二日に宗門は名誉会長の発言に難癖をつける「お尋ね」文書につい
て伊豆長岡の高級温泉旅館で謀議。翌日の連絡協議会で宗門が、この「お尋ね」
文書を出したが、学会側が話し合いを要望し、宗門側は同文書を引っ込めた。

 その後、十二月十六日に宗門は総監・藤本の名で「お尋ね」文書を学会に送
付。宗門側が「問題発言」とした名誉会長の発言は、何も問題にされるべき内
容ではなかった。日顕らは「C作戦」を実行したいため、落ち着いてテープを
聞く心の余裕がなかったのか、聞き間違い、テープの反訳ミスがあったのであ
る。

 宗門側はテープ起こしの間違いを認めたものの、振り上げた刀を鞘に納める
ことはせず、十二月二十七日の臨時宗会で名誉会長の法華講総講頭、秋谷会長
らの大講頭を実質罷免した。

 宗門側はマスコミには宗規改正による資格喪失と説明していたが、後に日顕
は懲罰の意があったと発言した。 (つづく)

 

フェイク 第1633号

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 2月 3日(日)00時51分9秒
  (発行=19.01.28)

平成の問題は日顕の癇癪が発端
「大白法」の「光明」欄の間違いを正す ㊤
実態の伴わない法華講八十万の構築

邪宗・日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」の最新号(一月十六日付)を見た青
年が面白い指摘をしていた。

「八ページの薄っぺらな新聞に『法華講員八十万人体勢の構築』という活字が、
なんと二十八回もある。そのうちの半分以上が日如の話の中に出ている」と苦
笑していた。

 この「法華講員八十万人体勢の構築」という言葉だけが日蓮正宗の僧俗の間
で独り歩きしていて、実態は全然伴っていないから滑稽の極みだ。

 折伏は低迷して、昨年は布教部長・阿部信彰の常在寺、同副部長・新井契道
の妙国寺、総監・八木日照の法道院、重役・藤本日潤の常泉寺、宗務院庶務部
長・秋元日高の宣徳寺、渉外部長・梅屋誠岳の久遠寺、庶務部副部長・田中導
正の蓮東坊、教学部副部長・宮野審道の妙縁寺など役僧の寺が軒並み未達成に
終わった。

更に、全国四十七布教区のうち、未達成の支院長が十九人、副支院長も十八
人にのぼっていた。

また、新年の勤行会の参加者も減少した。それだけではなく、初登山の参加
者も減少の一途を辿っている。

平成二十七年三月、日興上人御生誕七百七十年法要の際、日如は法華講員五
十パーセント増を成し遂げ、次の目標の法華講員八十万人体勢へ向けて精進す
べきである旨、語っていた。

だが、かつては初登山も二万人以上が参加していたが、この頃から二万人に
届かなくなった。日如の言う五十パーセント増は真っ赤なウソであることが分
かる。

今の目標の法華講員八十万人体勢の構築も夢物語に終わることは間違いない。

問題の始まりは御開扉の供養料の値上げ

ところで、この「大白法」は何も知らない勉強不足の所化小僧が執筆させら
れているようだ。本紙前号では十二月十六日付「大白法」の「光明」欄の間違
い記事を指摘したが、一月十六日付「大白法」の「光明」欄でも次のような見
当違いの記事を書いている。

「平成の始まりは創価学会の邪宗・邪義化から。宗門から破門された学会は、
その後、いよいよ魔の本性を露わにし、ますます邪教化の一途」とは笑止千万


学会と宗門との抗争の発端は日顕の〝癇癪の発作〟から始まったのだ。

癇癪とは怒りを爆発させ、コントロール出来ない状態を言う。子供なら成長
過程の一つの段階とみることもできるが、 大人の場合は始末が悪い。〝瞬間
湯沸かし器〟の異名を持つ日顕は、些細なことで突然、激怒して怒り出すと治
まらない。

問題は宗門側が平成元年二月、御開扉の供養料を千六百円から二千三百円に
値上げしたいと学会側に要求したことに始まる。

当時、消費税導入を巡って議論が高まっており、学会側は社会的状況が値上
げを容認できる環境にないと説明し、慎重な検討の必要性を宗門側に伝えた。

学会側が値上げを認めなかったことで日顕は〝癇癪の発作〟を起こして、深
く根に持っていたのである。

そして翌二年三月、宗門は学会に有無を言わさぬよう値上げを一方的に通告
し、その後も日顕を中心に「C作戦」の密議を重ねたのであった。(つづく)

 

年明け早々の"大ナタ人事"

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 2月 1日(金)23時57分45秒
   シンガポール・開妙院主管の野村正通(46)が、現地で何らかの不手際があっ
たとして帰国させられ、静岡・妙蓮寺塔中の蓮三坊住職となる。

 蓮三坊住職だった小畑信威(51)は、日ごろの働きぶりが良くないとして、
本山の労務僧(草取り、掃除などの労役を課せられる)に格下げとなる。

 シンガポール・開妙院には米・シカゴ、妙行寺の加藤信学(42)が、妙行寺に
はパナマ・大廣寺の上地信暁(42)が、大廣寺には岩手・宝器寺の鈴木良法(38)
が入り、宝器寺には本山・大坊から郷成益(34)が入る。

 日ごろから「住職にはいくらでも代わりがいる」と、信者勧誘が低迷してい
る住職を脅している法主・日如だが、今後、住職の順番が回ってくる若手の無
任所教師たちからは、「ノルマ、ノルマで苦しむ住職はやりたくない」との声
があがっているという。


2月の予定


  3日(日) 節分会(本山、末寺)
  7日(木) 興)師会(本山、末寺)
10日(日) 御講(末寺)
16日(土) 宗祖御誕生会(本山、末寺)


 

無残! 低迷住職の締めつけ指導会

 投稿者:宿坊  投稿日:2019年 2月 1日(金)00時31分28秒
   昨年、信者勧誘の取り組みが惨敗に終わった日顕宗では、今月8日、特に低
迷している寺院の住職が総本山大石寺に集められ、指導会が行われた。

 午前の部では、昨年まで3年以上目標未達成の住職が約110人、午後の部
では一昨年と昨年、続けて未達成だった住職、約80人が集められたという。

 参加者は、例によって「すべては住職の責任」「住職が本気になっていない
からだ」等と厳しく叱責され、布教部長宛てに「決意文」を提出させられたと
いうが、その布教部長・阿部や副部長の新井、また、ひな壇で涼しい顔をして
いた他の役僧たちも軒並み、昨年未達成の住職たちであり、参加者は白け切っ
ていたという。

 ともあれ、ここにきて「学会員を標的に」と公言する住職も増えており、警
戒を強めてまいりたい。


 

フェイク 第1632号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年12月20日(木)12時59分57秒
  (発行=18.12.19)

「日顕の邪義は日精より悪質」
日蓮正宗の平成時代は大謗法への転換期
疲弊した末寺・法華講、総登山や総会は大失敗

日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」十二月十六日付では「光明」という囲み
記事で学会を誹謗し、宗門の暴挙を自画自賛している。

「宗門にとっての平成とは、いかなる時代であったか」と振り返り、平成二年
に創価学会の謗法の心根が露見し、翌三年には学会を破門したと書いた後、平
成六年の地涌六万総会、同十年の十万総登山、同十四年の三十万総登山、同二
十一年の七万五千人結集総会と、法華構の進展の実相を示した、と虚勢を張っ
ている。

また、正本堂や大客殿などを解体し、奉安堂を建て、客殿、塔中等を建て替
えたと自慢している。

だが、そのため末寺も法華講も疲弊しているのが現実だ。特に、総会と総登
山は内容が乏しく、運営面は杜撰で惨憺たる行事だった。

例えば六万総会の時は食事の時間はない、トイレは一時間以上も待つので水
分は控えよ、と徹底され、体調を悪くした人が多かった。

また二十一年七月、炎天下での総会は高齢者や病人も無理に集めたので救急
車がフル稼働しても対応できなかった。救急医療センターには患者十数人、脳
梗塞の三人は富士脳研へ、呼吸困難の人や転倒して骨折した人は市立病院へ搬
送され、壇上の坊主も倒れるなど悲惨なもので、病院側からは「一般市民の受
け入れが出来なくなる」と言われた。

 「大白法」では「大要、平成時代は正邪を明らめ謗法を駆逐し、正直一途な
信心に基づく盤石な礎石が築かれた時代」と書いている。

しかし、現実は「謗法を駆逐し」どころか、法主本仏論、御書部分論などの
邪義を幾つも生み出した。

松岡幹夫氏の勝利宣言

 日蓮正宗の謗法・邪義については、日顕と法論した改革僧の松岡幹夫氏が「
勝利宣言」の中で端的に記しているので以下に引用する。

「日顕がどれほど宗門の教義を歪曲し、次から次へと己義を創作し続けている
か。それらは下種仏法の体内でガン化した細胞のごとき異物である。

十七世・日精が唱えた造仏・読誦の邪義などよりも一層悪質で見極め難く、
将来への禍根は計り知れない。心ある宗門人は、もっと危機意識を持つべきで
ある。

御本尊の本迹、本尊授与者の選別・非選別による相待妙・絶待妙の新義、下
種仏法の本門戒壇の本迹、多宝塔の壇=在世本門戒壇説、下種絶待妙の三段階
説、仮相の十界・実相の十界とその互具、『国立』と『民衆立』のすき間を突
く『国主立』戒壇論、立宗の月が古来二説ある間隙を狙った立宗二回説、御本
尊の非対面開眼説、返納御本尊の『法魂』帰還説、御本尊の役目終了=焼却の
論理、『日蓮は折伏を本とし』(御書八六七頁)との御意を無視した〝折伏=
相待妙の迹〟説、一般僧俗を本質的に『救われる者』としか見ない新種の救済
論、戒壇の大御本尊の讃文に応身中心の意義を与える新説、男女の本質的平等
は日蓮仏法に反するとの奇説、『平等即差別』を『平等より差別』と曲解する
差別主義、もう挙げればきりがない。」

 以上、松岡氏が糾弾した通り、日蓮正宗の平成時代は昭和時代の広布進展と
は一線を画する大謗法への大転換期であった。

 

フェイク 第1631号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年12月13日(木)12時17分10秒
  (発行=18.12.11)

法道院の上空から広がった黒雲
あの頃、日蓮正宗は何をしていたのか ⑧
日顕の行く先は妖気が漂い暗雲・豪雨・突風・地震

日顕が〝盗座〟した後、大石寺のお会式は平成四年から六年連続で雨――こ
の事実を本紙1629号で紹介したところ日顕の妄信者が「雨が降っても(日
顕が)悪いとは言えない」と釈明しているという。本紙が指摘しているのは、
日顕が単なる〝雨坊主〟というより、悪天候は諸天の怒りの厳しい現証という
ことだ。

戦時中、軍部権力を恐れた宗門は日蓮大聖人の御書の肝心な箇所を削除し、
創価教育学会に神札を受けるよう命じたうえ、昭和十八年七月、牧口会長、戸
田理事長(第二代会長)らが不敬罪、治安維持法違反で逮捕されると信徒除名に
した。

その時の法主・第六十二世日恭は、どうなったか。

昭和二十年六月十七日、大石寺が炎に包まれた時、仏罰で焼死した。仏法の
厳しさを示して余りある。

時は移り、平成になると、広宣流布の大功労者である池田名誉会長(第三代会
長)を信徒除名にして、学会員を破門にした日顕に仏罰と諸天の怒りは当然
だ。
日顕の行く先々には妖気が漂い、暗雲に覆われ豪雨・突風・落雷・地震など異
常気象に見舞われるようになった。

例えば、平成四年十一月の関西親教では快晴が一転、暗雲に覆われて周囲は
真っ暗になり、翌五年一月の九州親教も異常気象。十九日の佐賀地方は酷寒で
日顕が深遠寺に到着直前には黒く汚れた雪が降ってきた。

翌二十日の北九州は快晴が急変し、日顕が法霑寺に到着する直前、急に横殴
りの雪に変わった。

宮城県の徳妙寺、北海道愛別町の法宣寺、大阪府の経王寺など行く先々で雨
を降らせた日顕が平成九年十一月、所沢市の能安寺に行った時は豪雨、強風、
雷に加えて震度3の地震まで起こるなど天地は荒れ狂った。

こんな日顕のゆく先々での異常な悪天候は退坐後も続いたが、紙面の関係で
省略し、異常現象の象徴的な悪天候として平成五年六月、日顕が早瀬日慈(日
如の実父)の葬儀に出るため、東京・池袋の法道院に着いた時の様子を記して
おこう。

日慈は六月二十日午前七時過ぎに順天堂病院で死亡。この日、日顕は金沢市
の妙喜寺で説法。それを終わって、日慈の訃報に接しても、その死を悼むどこ
ろか、山中温泉の高級旅館「胡蝶」へ行って豪遊した。

そして翌二十一日の正午前に羽田空港に到着。午後一時五十分頃、法道院に
着いた。これとほぼ同時刻、法道院の上空付近から真っ黒い雲が広がって真夜
中のような暗闇が真昼の東京を包んだ(最上段の写真)

この黒い雲は天魔が呼び寄せた妖雲を思わせた。

間もなく強風が吹き始め、横殴りの豪雨が降り、稲妻が走り、雷鳴が轟くな
か約一センチ大の雹も降った。まさに魔僧・日顕に対する諸天の怒りを彷彿と
させた。


 

フェイク 第1630号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年12月 5日(水)12時29分25秒
  (発行=18.12.04)

「妙観講が聖教の配達員を尾行」
あの頃、日蓮正宗は何をしていたのか ⑦
反社会的行為を大草が自慢、日顕は称賛

 日蓮正宗の謀略紙「慧妙」は今年の四月十六日付から「あの頃、何が起きた
のかー日蓮正宗を襲った学会の謀略と攻撃―」と題する連載を開始、学会と宗
門との抗争では学会側が一方的に悪いかのような印象を植え付けようとしてい
る。

 このデマ記事を真に受けた法華講・妙観講員の中には、行き詰まっている折
伏を打開しようとして「慧妙」を学会員宅に投函している者もいる。

 では、学会員宅を、どうやって調べているのか。

 例えば、宗門機関誌「妙教」十一月号では岐阜市・長昌寺支部の活動を紹介
する中で、学会員の家である目星をつける手段は〝公明党のポスターが貼って
ある家〟だと書いている。

 これは「慧妙」を主体的に編集・発行している妙観講の悪辣な手口とは比べ
ものにならない。以前、妙観講の講頭・大草一男(現・大講頭)が学会員の名簿
を作成したことを自慢していた。それは平成四年一月、静岡の法華講妙盛寺支
部の第二十八回総会でのことである。当時の「妙盛寺支部報」に掲載された総
会での大草の「祝辞」の中で該当する個所を抜粋して紹介する。

十五万世帯の名簿作成

「ここで、私事のようで恐縮でございますが、学会に対する折伏という事に関
しましての私共の活動報告も踏まえて若干お話しをさせて頂きたいと思いま
す。

 私共の妙観講におきましては、昨年一月のはじめから一ヶ月間をかけまして
十五万世帯の創価学会員の名簿を収集いたしました。十五万世帯の名簿を収集
する為にはどのようにしたかと申しますと、あるいはお墓のお塔婆や墓石の裏
書きを見まして、そこから学会員の氏名を割り出して、それを電話番号帳で照
合して、その住所・電話番号等を調べたり、あるいは早朝から住宅地図を片手
に聖教新聞を配達している学会員の後をついて行って聖教新聞の入った家を端
から住宅地図にチェックしていったり、或いはかつて古い聖教新聞等に載りま
した読者の投稿、或いは広告等からその学会員住所を調べたり、そのようにし
て十五万世帯分の学会員の名簿を収集いたしました。」(「妙盛寺支部報」で
は「理境坊妙観講支部講頭 大草一夫」と書いているが「大草一男」の間違い
)

 大草は上記のような話をした後、妙観講の機関紙「妙観」や小冊子「富士の
清流」を配布し、また、数百チームを編成して個別に訪問したと述べていた。

 聖教新聞を配達しているのは婦人が多いようだが、早朝からストーカーにも
似た尾行を各所で続けていたとは戦慄を覚える。

 探偵業法では尾行は業務として認められているが、探偵業の届出をしていな
い一般人が尾行し、そうして調べた名簿で脅迫じみた電話をかけ、或いは家に
押しかけるのは反社会的行為だ。

 こんな妙観講の狡猾な行為を聞いた日顕が「いい考えだ。なかなか思いつか
ないことだね」と褒めていたことも伝わってきていた。

 最近の「慧妙」で「あの頃、何が起きたのか」を連載して学会が謀略を使っ
て宗門を攻撃したような記事を載せているが、妙観講は違法な手口で学会員を
脱会させようとしていたのだ。

 

フェイク 第1629号

 投稿者:宿坊  投稿日:2018年11月29日(木)14時18分11秒
  (発行=18.11.27)

日顕の時、お会式は六年連続で雨
あの頃、日蓮正宗は何をしていたのか ⑥

日蓮正宗の総本山大石寺で二十・二十一日の両日、恒例のお会式を行なった。
宗務院は「大白法」を使って盛んに登山するよう煽り、事前の発表では四千人
が参加予定と発表していたが、宗門関係者によると、参加者は、かなり下回っ
たとのことである。

 天候は二日間とも晴れのち曇り。初日の「お練り」が始まる夕刻には気温が
急激に九度にまで下がり、冷たい風も吹き始めたので、体感温度はさらに寒く
感じたということだ。

 日顕は「見苦しいから登山しない方がよい」と関係者に言われていたが、無
理して登山した。それを目撃した参加者は「(日顕は)衰弱した姿で痛々しかっ
た」と言っていた。

 この日顕が「C作戦」を断行する前、お会式の日は晴天続きであったが、「
C作戦」の強行後、お会式は平成四年から同九年までの間、六年連続して冷雨
に見舞われた(下の図を参照)
特に、平成四年と同八年は大雨のため「お練り」を中止せざるを得なかった。

同九年の際も「お練り」を中止すると思われたが、日顕は降りしきる雨のな
か決行。かがり火は雨のため燻(くすぶ)り、参道には雨に混じって灰と煙が立
ち込め、参道に並んだ登山者は傘も差さずに「濡れネズミのようになって風邪
を引いた人もいた」と述懐する法華講員がいる。

日顕の説法が始まる頃、雨は激しさを増し、場内は濡れたままで寒さに震え
ている人、クシャミや咳をする人が多かったようだ。

「(日顕の)説法を聴いていて気分が悪くなった」と、数人の人に支えられなが
ら会場を出て行った参加者もいた。この日顕が説法を終わって大奥に入ると、
雨が止んだという。

過去にお練りを中止したのは日開と日恭

 因みに、過去にお会式の「お練り」を中止したのは第六十世・日開の時の昭
和六年、それに第六十二世・日恭の昭和十四年に、それぞれ一度だけ前例があ
る。

 日開は日顕の戸籍上の父親(実父は高野日深との説が有力)で、御本尊を誤写
し、更に、日蓮大聖人の正墓は身延山にある旨の念書を当時の文部大臣に提出
した大謗法の坊主である。

また、日恭は学会に神札を受けるよう迫り、仏罰によって大石寺の大火に包
まれて焼死した。

この二人の法主は宗史に悪名を刻む極悪僧だが、六年連続して雨に見舞われ、
二度もお練りを中止した日顕は日開、日恭よりも悪辣な天魔坊主と言える。

なお同九年のお会式では正本堂で停電騒ぎもあった。

 

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